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2009年3月6日(金曜日)

恩義

茂木健一郎先生への恩義を
私は終生忘れることはありません。

『蒼天のクオリア』の序文は、
私がこの世に生きている存在理由そのものでした。

『冑佛伝説』の序文も書いていただきましたが、
実はそれだけではないのです。

あまりのことに、
これまでおおやけにしてこなかったことを
あかそうと思います。

つづきはこちらへ・・・
http://ohayashimorikawamurake.at.webry.info/200903/article_6.html


2009年3月2日(月曜日)

FM島田の取材

カテゴリー: - kawamura @ 07時47分10秒

FM島田の取材がもうすぐみえます。

冑佛(かぶとぼとけ)のことについてです。

それで昨日から『冑佛伝説』を読みかえしていたのです。

つづきはこちらへ・・・
http://ohayashimorikawamurake.at.webry.info/200903/article_2.html


2008年5月14日(水曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』


2004年の5月に
拙著『蒼天のクオリア』を1000部印刷して、
残部僅かとなりました。

思いがけず
梅の木オーナーのみなさんのなかに
拙著をお買いもとめになる方がいらっしゃるようで、
とてもうれしく思います。

5月6日の静岡新聞「大自在」に紹介されてから
島田駅前「BOOKS ZEN(0547-33-0002)」にも
お問い合わせの電話が来ているようです。

オーナーの皆さまのお話では
お読みになってから
建物やそれをとりまく風景をご覧になると
なおいっそう趣深く感じられるようです。

とくに2006年4月に上梓した『冑佛伝説』は
御林守河村家の歴史を知るうえでも
あるいはいままでまったく知られなかった
日本歴史の一面をのぞき見るという意味でも
楽しんでいただけたようです。

二冊ともに
みなさんよくご存じの
脳科学者茂木健一郎先生から序文を頂戴しました。

また、二冊とも版画家高橋シュウの装丁です。

先日の女性のように
梅狩りのときにお持ちいただければ
署名をさせていただきます。

お求めがあれば、ですけれど(笑)。

梅の実は
日に日にふくらんで
みずみずしい姿でみなさんをお待ちしています。

(脳科学者 茂木健一郎先生序文
 『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』河村隆夫著
 amazonまたは島田駅前BOOKS ZEN(0547-33-0002)にて発売中)


2008年5月8日(木曜日)

文化って?(7)

カテゴリー: - kawamura @ 06時57分47秒


風景について
こんな話しをしたことがありました。

海に突きだした岬や山並みをながめるとき
それと空との境を眼がなぞってゆきます。

その曲線のうむ快感
雑木の山がすこしやわらかく感じられ
針葉樹林が厳しさをただよわせるのは
空とそれとの稜線の生みだすものだ
という話しです。

この話しは
高橋シュウと御前崎の海岸線を走っているとき
車窓の風景をながめながら私が話したことです。

拙著『蒼天のクオリア』のなかにも
こんな一節があります。

*******************

沢村は喫茶店の窓を見た。

うすく黄に染まりはじめたポプラの葉が、風にゆれている。

初秋の透明な風だった。

沢村は、樹を見るというより空間をみていた。

ちょうどマシュマロの味を舌が愉しむように、
枝葉のひろがりを視(み)て、
自分の空間認識能力を眼が楽しんでいたのだ。

そのうち沢村は、無数の葉がおなじ風にふかれながら、
一枚一枚、ちがう身振りで白い葉裏をみせるのに気づいた。

そうか、これがconcertedに反応しているということか。

オーケストラのように、風はいくつもの旋律にわかれて、
それぞれの葉を、無数の姿でそよがせている。

沢村の目には、うす青い溶液のなかに落とした一滴の試薬が、
数種類の分子と、さまざまな反応経路をたどって、
まさに協奏的に反応してゆくのと、
ポプラの葉のゆれるさまがおなじようにみえる。

*******************

とまあこんな話しです。

つまりその国々の風景が生みだす曲線は
音楽のように
その国民のこころの根底にながれて
独自の空間認識能力を育むのだ
ということです。

波うつ草原の風景や
荒野と屹立する山塊の風景
あるいは砂漠の風景
そういった国々特有の風景が生みだす曲線の美は
その国の思想や芸術に
影響を与えずにはおかないでしょう。

こころの底に
針葉樹林の風景が広がるというのではなく、
<思想の針葉樹林>が形成されるのだろう
ということです。

(つづく)

(脳科学者茂木健一郎先生序文
 『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』河村隆夫著
 amazonまたは島田駅前BOOKS ZEN(0547-33-0002)にて発売中)


2008年5月6日(火曜日)

静岡新聞「大自在」

今朝の朝刊「大自在」に
御林守河村家住宅のことを取り上げていただきました。

論説委員の榛葉隆行様にお礼申し上げます。

島田市指定文化財・御林守河村家住宅の
維持保存問題について
私の苦悩がそのまま伝わるような記事でした。

先日の取材のあと
拙著『蒼天のクオリア』をお読みになったのでしょうか。

「家を守るための人生でした」

このひと言に、すべてが集約されていました。

また、里山の手入れの必要性も書いてくださいました。

梅の木オーナー」の募集は
文化財建造物の維持費を捻出するためでもあり、

将来この文化財が
どのような体制で維持保存されるにしても、

税金を投入することなく
財政的に「自立する文化財」を目差してのことでした。

オーナー様を、
「御林守河村家を守る会」の会員とさせていただいたのは、

この取り組みが、単なる果樹のオーナー制度ではなく、
指定文化財やそれをとりまく里山を守るための
新しい試みであることを認識していただくためでした。

大自在」にご紹介いただいたことを励みに

このような文化財維持保存の方法が
全国の地方自治体に先駆けて成功するよう
ますます努力精進するつもりです。

論説委員の榛葉隆行様に、重ねてお礼申し上げます。

(脳科学者茂木健一郎先生序文
 『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』河村隆夫著
 amazonまたは島田駅前BOOKS ZEN(0547-33-0002)にて発売中)


2008年4月20日(日曜日)

蕗とオーナーさま

今日のオーナー様は
蕗を採っていらっしゃいました。

それもほそめの
若いふきがお好きのようでした。

のびるが好きなひと
三ツ葉を好むひと
タケノコ掘りに燃えるひと
梅の木オーナー様たちの
さまざまの嗜好を
この里山はかなえてくれます。

キンカンも実をつけたまま
誰にも採られずに
キンカン好きのオーナー様を
まちわびています。

そのうち
梨や
やまももも
会員の皆さまに楽しんでいただけることでしょう。

オーナー様がお帰りになるときに
うれしいことがありました。

奥様が
何かを手にして
駐車場から引き返してきたのです。

「サインをして下さい」

それは『蒼天のクオリア』と『冑佛伝説』の二冊でした。

さっそく慣れないサインをして
拙著を買って下さったお礼を申しました。

「しっかり読んでから、遊びに来ます。
 また違った景色にみえるでしょうから」

ほんとうに有り難いことです。

父の跡を継いでから30年間
家と里山を守ってきてよかったのだと
しみじみと思いました。

鳥のさえずりが
新緑の谷間から聞こえてきます。


2008年4月13日(日曜日)

新聞の反響

カテゴリー: - kawamura @ 06時08分50秒

(写真は昨日お見えになった方々です)

まさか
あれほど大きな新聞記事に取りあげられるとは
思いませんでしたから
その反響の凄まじさにおどろいています。

インターネットでの申し込みは
三日目の今日もまだつづいていますし
来客もございます。

できるかぎり丁寧にお答えしているつもりですが
不手際な点も多々あることと思います。

なにぶん初めての試みではございますので、
ご容赦頂きたく存じます。

ところで
来客の皆様から
御林守河村家の歴史や
その暮らしぶりなどについてのご質問がございますが
それにつきましては
拙著『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』に
くわしく書いてございます。

これからご来訪になる方々も
お読みになってから風景をご覧になると
また深い味わいが得られるものと思います。

ご先祖さまが戦死した
永正二年(1505)以来の500年間
どのようにして河村家が存続してきたのか
御林守河村家の歴史を堪能していただけることと思います。

島田駅前の書店「BOOKS ZEN」の店頭にもございます。

これからは皆様のご期待に添うべく
梅狩りはもちろんのこと、
「御林守展」などのイベントも開催しようと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


2008年4月9日(水曜日)

リラの薫る街を

私の仕事場の階下に、BOOKS ZENという本屋があります。

ほとんど毎日顔を出していますが、
先日、「ちくま日本文学」の文庫版を3冊買ったとき、
ZENさんが

「ハードカバーで以前買われていると思いますよ」

私はそれに応えて

「昔の本は全部売ってしまいましたから」

「勿体ないことをしましたね。
 貴重な本もあったんでしょうに」

これは横にいた奥さんの言葉です。

そうなんです、
いまにして思えば勿体ないことをしたのかもしれません。

当時の蔵書でいま手元に残っているのは
わずか50冊ほどしかありません。

還暦ちかい今の私よりは少ないのでしょうけれど、
それでも当時の私は学生にしては大量の蔵書をかかえていました。

当時というのは、40年ほど前のことです。

ちょうどそのころは安部公房が新刊を出していたころで、
公房の初版本はほとんどもっていました。

べつに初版を集めていたというわけではなく、
たまたま同時代だったというにすぎません。

しかし、
大学に残って研究をつづける道をあきらめたとき、
それは大学4年の春でしたが、
私は蔵書のすべてを古本屋に売ってしまいました。

文学の痕跡を絶とうと思ったのです。

理学部の学生でありながら小説を書いて
新聞や雑誌に名前が出ていたことなど、
無かったことにしようと思ったのです。

未練を残せば、
必ずそれが重荷となって
いつかしらふたたび私を深海へ引きずりこむでしょう。

文学や哲学の深さは
それを成り立たせている言語の意味論にも似て、
不立文字の真相に
あえて言葉の蟷螂の斧をかざすというふうな
無間地獄の様相をしめしているのです。

しかし今でも、
そこが核心であるのだろうと思っています。

真剣をかざして
命がけで立ち向かった者にしかわかりません。

そこへ至る道は、
それ以外に無かろうと今でも確信しているのです。

さて、大学4年の私が、
本を売って手にした金は
すべてワインに消えました。

それもどうしたことか、赤ワインでした。

赤ワインの渋みが必要でした。

粋な香りのする白の軽さより、
二日酔いに苦しむ赤のアクのつよさが
そのころの私には必要でした。

五月の休日のころ
リラの薫る街を
ワインに酔いしれて彷徨いました。

フェステル・ド・クーランジュの
「古代都市」なんかを片手に
大通り公園のベンチに座って
春の空をながめていました。

しかし、
以前にもこのブログで書いたことですが、
大学卒業このかた、
私は一言も文学の話をしないで生きてきました。

正確に言うと
蒼天のクオリア』を上梓するまで、
若き日の私が文学的評価を受けていたことなど
だれにも話したことはありませんでした。

しかし40代の半ばになって、
冑佛との出会いを契機に、
固く閉ざしたはずの文学の扉が
ゆっくりと開きはじめたのです。


2008年4月8日(火曜日)

『谷島瑶一郎初期作品集』15

北大の中村義男名誉教授から送られてきたのは
何だったのか。

日本経済新聞に私の記事が掲載されたのは
平成16年11月17日でしたから、
それからちょうどひと月ほどたって
それは送られてきたのです。

先生のお葉書の返礼に
拙著『蒼天のクオリア』を同封したことは
昨日記しましたが、
今日お話しするのは
12月の末に
ふたたび先生から送られてきた拙著の感想と
一枚の古い紙片のことです。

まずは先生のお手紙から引用しましょう。

*********************

・・・

お送りいただいた『蒼天のクオリア』
大変面白く読了いたしました。

小生貴兄が谷島瑶一郎のペンネームで
北海道の文芸界で令名を馳せておられたこと
承知していなかったようです。

そこで想い出したのが
当時の学生諸君が作っていた新聞です。

谷島瑶一郎のエッセイ
「黒い犬」が載っているのです。

その新聞には小生も投稿していて、
保存していた次第です。

とまれ「冑佛」の研究に辿りつかれた
貴兄の半生の軌跡を、
貴兄の卓抜な文章にて興味深く読みました。

茂木健一郎氏の序文も面白く拝見しました。

”個別と普遍の交錯する領域”
それが創造的な科学・芸術の世界なのでしょう。

大野先生の描く湯川先生の講義風景にも
それを感じます。

いつか貴兄にお目に掛かる機会を得て
お話を伺いたいものです。

・・・・

二〇〇四年十二月二十三日   中村義男

河村隆夫様

*********************

エッセイを書いたことなど
私の記憶からも消えうせていました。

しかしそれを読んでいくうちに
理学部の一室で
新聞編集の竹腰君にせっつかれて
小文をなぐり書きしたのを思いおこしたのです。

文学修行に挫折して
東京から帰ってきた直後のことです。

*******************

「黒い犬」
            谷島瑶一郎

朝起きると、窓は白い。

八時に僕は下宿を飛び出す。

足の裏がつめたくなる。

夢から醒める。

見上げると、空は快晴。

黒い犬が走ってくる。

雪煙が上がる。

僕は避ける。

どこかへ消えた。

電車、降りてまた地下鉄、
その間、
もう夢にもあらわれない
遠く忘れていた黒い犬のことを想う。

過去の幻だ。

高校時代まで、黒い犬の記憶はない。

それは突然姿を見せる。

冬の朝、
浪人だけの下宿を出て顔を合わせた。

それだけのことだ。

その夕、僕は血を吐いた。

硝子の窓に夕焼けが映っていた。

犬の遠吠えが聞こえた。

北十二条に着く。

人の流れを縫って改札機をすり抜け
階段をかけのぼる。

雪だ。

今年の四月から
僕は毎朝八時半に登校。

それからは一度も黒い犬を見ていない。

しかし今朝の犬は?

いや、あれは夢だ、
昔の、
暗い夢を見たのだ。

首すじに吹きこむ雪。

僕はフードを深くかぶる。

*****************

黒い犬、
それは二十歳の科学青年がほんのひととき夢見た
文学の化身でしょうか。

いずれにせよ
夕暮れの学生控え室で
私の目の前に座って原稿を待っている竹腰君に
わら半紙に走り書きした文章を
手渡したのは憶えています。

文学をきっぱりと捨てて
科学に専心していたころの
貴重な記録です。

中村義男名誉教授に、心から感謝申し上げます。


2008年4月7日(月曜日)

中村義男先生

4年ほどまえのことです。

その絵葉書は封筒に入って送られてきました。

裏返すと、差出人は北大の中村義男名誉教授でした。

日付は平成16年11月17日になっていて、
ちょうどそれは
私の文章が
日本経済新聞文化欄に
八段抜きの記事として掲載されたその日でした。

「兜に秘める伝説の小仏」
と題された日経の記事を読んで
即座にしたためたというふうな書面でした。

**************************

 前略
 本日日経紙上にて
 貴兄の「冑仏」についての一文を拝見しました。
 
 どこかで見た顔と名前だと思い
 同窓会名簿を見ました。

 進学スクール塾長とありましたので
 間違いないと思い
 一筆しました。
 
 小生液体科学講座のスタッフでしたが
 二000年に定年となり
 比較的ヒマな日々を過ごしています。

 新聞も文化欄から読むという生活です。

 貴兄も旧家の出と伺いましたが
 面白いテーマで
 この新聞掲載が機となって
 ますますご研究が進むことを祈っております。

 たぶん数々の反響がおありかと思いますが
 その一つが北大時代の教官の一人です。

                早々
 二〇〇四・十一・十七

 河村隆夫様        中村義男

**************************

そのころ私はまだ『冑佛伝説』を
書いておりませんでしたので、
葉書の返礼といっしょに
蒼天のクオリア』を同封して
先生にお送りしました。

その後、
拙著の感想とともに
驚くべきものが送られてきたのです。


2008年4月4日(金曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』


いまからちょうど4年前の
4月4日のことです。

わたしが初めての自伝『蒼天のクオリア』を書いて、
2004年の4月に
茂木健一郎先生に序文をお願いしたところ
こころよく引きうけて下さったのでした。

今朝、その日のことを思い出しました。

あれから4年しかたっていないのに
ずいぶん長い時間が流れたように感じます。

あの日のことを、
茂木先生はブログに書いて下さいました。

2004年4月4日の「クオリア日記」から転載します。

http://www.qualia-manifesto.com/qualiadiary/qualiadiary20.txt

********************

2004.4.4.

 珍しく、起こったことを淡々と書こうと思う。

 土曜ではあるが、お仕事である。
 朝10時、丸の内ビルディングのカンファレンス
ルームへ。
 (財)社会経済生産性本部主催で、
 一橋大学の野中郁次郎さんがオーガナイザーの
「日本型独創経営を考える会」
で話をさせていただくために出かけたのである。

(略)

 そこから歩いてすぐの東京ステーションホテルで、
河村隆夫さんとお会いする。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~nazoden/

 河村さんは、静岡県金谷市の旧家の当主で、
「兜仏」の研究で知られる。
 私はクオリアの会でお知り合いになったのだけども、
 最近河村さんが自伝的御著書をお出しになるこ
とになり、
 その序文のようなものを書かせていただいたので、
その件について一つコーヒーでも飲みながら
お話しましょう、ということになったのである。

 河村さんの娘さんが東京の大学に入学
されるというので、その記念すべき日でもあった。

 河村さんはかの地の名士なので、
なんとか総代とか、世話役とか、いろいろ
やらされて大変のようであった。
 そういうことを書いてみたら面白いんじゃ
ないですか、と言ったら、
 いや、そうしたら、地元の人たちとの
関係が壊れますから、
 表現者というのは、そういう人間関係を
壊してまで表現するものなのでしょうが、
私はそこまではやる気がない、
 と言われたのだった。
 
 「赤目四十八滝心中未遂」 の車谷長吉さんは、
すべてを書いてしまったわけですけど・・・。

 新幹線に乗るべく、自動改札を入っていく
河村さんの「もこっ」とした背中を見送りながら、
私は「坊ちゃん」の赤シャツ問題のことを
考えていた。

*****************

2004年の4月というと、
私が『脳とクオリア』を読んで衝撃を受け、
初めて茂木先生にお電話したのが1999年ですから、
それから5年後のことです。

それからクオリアMLのオフ会などで何度かお会いして、
上の日記にあるように東京駅でお会いした2004年4月3日は、
先生が『脳内現象』発表する2か月まえ、
脳と仮想』で小林秀雄賞を受賞する1年半まえ、
またNHK『プロフェッショナル』キャスターをつとめられる
ほぼ2年前のことになります。

さらに『脳内現象』が日本文芸大賞を受賞したことは
先日のブログで書きました。

あの日からちょうど4年、
茂木健一郎先生は天馬空を行くが如きご活躍です。


2008年3月21日(金曜日)

『谷島瑤一郎初期作品集』13

左から、『洋子からの手紙(前編)』、『洋子からの手紙(後編)』、『幻想としての初期万葉』が掲載されました。

初期万葉の魅力にとりつかれたのは
近藤潤一先生の講義を聴いてからのことでした。

今朝はじめてググってみて、
近藤先生の偉大さに驚きました。

http://www.asahi-net.or.jp/~gv2k-smz/Juniti/Juniti.html

<昭和6年2月1日函館生まれ。本名 近藤潤一。
 北海道大学文学部教授・教養部長・付属図書館長、
 平成6年定年退官し、北海学園大学教授。
 北海道大学名誉教授。
 日本文学(中古・中世)関係著書論文多数。
 昭和21年『壷』入会、23年同人、斉藤 玄個人冊子『丹精』に参加、
 48年『壷』復刊編集同人、50年壺中賞準賞受賞、
 55年『壷』編集長、
 60年素玄賞受賞、
 平成3年『壷』主宰、朝日新聞北海道版俳壇選者、
 俳人協会評議員。句集『雪然』『秋雪』
 著書『玄のいる風景』『北の季寄せ』。平成4年鮫島賞受賞
 平成6年9月16日没。享年63歳。正四位勲三等旭日中綬賞。>

私がお会いしたのは、昭和40年代の半ばでしたから、
そのあとずいぶん活躍されたのだなあ、
と胸に迫るものがあります。

当時は教養にも教授室をもっていらっしゃいましたので
近藤先生のお部屋には何度も通いました。
初期の小説はほとんど目を通していただきました。

しずかな、透明な思索の気配のなかに
峻烈な精神が棲んでいるという感じの部屋で、
私はその空気を吸いたくて
足しげく通ったというところもあるのです。

田舎育ちの私がはじめて出会った文学者でした。

大学を留年して文学修行に東京へ行った顛末は、
拙著『蒼天のクオリア』に書きましたが、
意気盛んに出発するときも
挫折して帰ってきたときも
近藤先生の部屋を訪ねました。

北方文芸にはじめて作品を発表した日のことは
忘れません。

それは雪の日でしたが、
昼食にいったクラーク会館の入り口で、
思いがけず近藤先生とお会いしたのです。

「うまくなったね。いい作品でしたよ」
「ありがとうございます」

それだけの会話でしたが、
積みかさねた日々の感慨が
その底に流れていました。

師弟の会話、という感じで、
忘れられないのです。

何よりも忘れられないのは、
私が卒業して就職し、
やがて父が倒れて帰省した年の正月でした。

懐かしくて、
年始の挨拶に電話したとき、
「早く世に出て下さい」
そう言って下さいました。

やさしい静かな声で
「早く世に出て下さい」
そう言って下さいました。

私が塾をはじめたばかりのころでした。

夜は塾、昼は高校の講師、
そして休日は農作業をしていたころのことです。

「はい」と答えましたが、
今でもその約束を果たしてはいません。

『幻想としての初期万葉』は
近藤先生の授業の課題であった国文学のレポートです。

ですから、
谷島瑶一郎ではなく本名で書かれています。

********************

『幻想としての初期万葉』

              河村 隆夫

 大和には 群山ありと
 とりよろふ 天の香具山
 登り立ち 国見をすれば
 国原は 煙立ち立つ
 海原は 鴎立ち立つ
 うまし国ぞ あきづ島 大和の国は

 この歌を読む度に、
 私は不思議な程鮮やかにレームデンの「ウィーン」と云う幻想画を思い浮べる。

 春のウィーンの遠景の、
 そのほとんどを明澄な空が占め、
 中央に奇妙な姿の鳥が数匹舞う。

 安らぎと希望が仄かにただようているかのその絵に、
 私はふと云い知れぬ清冽な水の音を聞いたやうに思った。

 それはむしろ、ふるえる朝日の切口、
 今しも零れ落ちるかの、夜露の粋美な果敢なさを思わせる。

 ”原光景”とでも云うに相応しかろう。

 しかし何故、遙か古の初期万葉の世界が、
 あれ程明晰に、現代の最先端である幻想画を私に彷彿させたのか。

 それは時折襲ってくる海への郷愁に似た不可解さを伴っていた。

 私達を取巻く現実は、夥しいイメエジの軍勢に侵蝕されている。
 その纏りつくイメエジの触手を断ち切ろうと、
 現代の最先鋭の幻想画家達は、好んで夢を画題にすると云う。

 夢の世界には価値感が無く、
 丁度子供が砂浜に光る石を見つけた時の喜びのような、
 何ものにも囚われぬ素朴な”原始の心”がそこにはある。

 そして、幼児の持つ”原始の心”は、
 歴史の幼児期である初期万葉世界の人々の心に通ずる。

 彼等画家達は、
 我々の意識の遙か奥底に潜む、その”原始の心”によって、
 存在の秘密に逼ろうとするのであろうか。

 そしてそこに、
 イメエジに侵されぬ”原光景”を見ようとするのではなからうか。

 又、万葉の天皇の眼に映った世界は、
 正にその”原光景”ではなかったのか。

 何故なら、彼等の心こそが、”原始の心”だからだ。

 存在そのものを見透かすことのできる”原始の心”は、
 私達の心にあっては無意識の中の幼児精神であり、
 それは夢となって現れ、
 又、歴史的には、初期万葉世界の人々の心であった、と私は考える。

 舒明天皇の御歌は、
 こうして私を幻想的な”原光景”の世界へと誘ったのである。

 しかし”原光景”が最早、幻想でしか無いとは、
 何と云う奇妙なパラドクスであらう。

 又私は、万葉の主人公達の激しい主格が、
 私の観念も情緒も一足跳びに跳び越へて、
 剥き出しの顔を、ぬっと差し出すのを感じた。

 彼等には観念も情緒も無く、
 その流れを遡った源泉のみがあるらしい。

 それはあまりにも透明な、清水の結晶のような泉である。

 その張り詰めた水面には、在るがままの総てが映し出されている。

 そして、精神と呼び得る否やも分らぬこの清絶な主格の裏に、
 微かな、しかし鋭い血の匂を私は嗅いだ。
 偉大なる殺戮者の匂を。

 それは丁度、幼児の精神の孕む、
 無垢なるが故の残虐さに対比されよう。

 そして又、その血の匂、死の匂は、
 幻想画の中にも漂うているのである。

 現代からイメエジを悉く払拭してゆくところに現れる”存在の秘密”。
 ”原光景”への狂ほしい程の希求。
 そしてその、存在の極に潜む、死。

 純粋な”存在”とは、人間にとって”死”ではないか。

 万葉の人々の清明さが、
 その純粋な”存在”に、今しも蝕まれんばかりの、
 絶妙な危険を孕んでいるように私には思われたのである。

─幻想としての初期万葉─


2007年10月18日(木曜日)

佐藤泰志(茂木健一郎先生序文「蒼天のクオリア」)

佐藤泰志の作品集が刊行される、
と釧路に住む池ヶ谷北斗君からメールが届きました。

池ヶ谷君は島田進学スクールの卒業生です。
もう20年ほど前のことですから
記憶は定かではありませんが、
彼は、小学校6年生から高校三年生まで
私の塾に在籍していたと思います。
小学校五年からだったかもしれません。
いずれにしても、なつかしい便りでした。

北斗君ありがとう。

池ヶ谷君が佐藤泰志の名前を
気にとめていたと言うことは、
おそらく私の「蒼天のクオリア」を
読んでくれたのでしょう。
佐藤の名は、その最後のシーンに出てきますから、
彼の記憶に残っていたのかもしれません。

学生時代、私は「谷島瑶一郎」という筆名で
雑誌などに小説を書いていました。
佐藤泰志と私の名が、大きな見出し
新聞の小説批評欄に載っていたのを憶えています。

佐藤は5回芥川賞候補になったあと、
41歳で自死してしまいます。
自殺する直前の話は、
第百回直木賞作家の藤堂志津子から
電話で聞きました。
惜しむべき才能でした。

その彼が、
十七年の歳月を越えて甦ったのです。

皆さまにおかれましても、
佐藤泰志作品集」を
ぜひご一読されますようお願い申し上げます。


2007年7月18日(水曜日)

藤本昌利教授

カテゴリー: - kawamura @ 11時28分24秒

このところ書斎を整理しておりましたら、
葉書が何枚かでてまいりました。

拙著『蒼天のクオリア』に登場する
北大学部生時代の教官
藤本昌利教授のお葉書をご紹介します。

それを拝見したとき、いつもは達筆な先生の字が
大きく乱れているのをふしぎに思っておりましたが、
あとからお聞きすると、
先生は病の床に伏していらしたようで、
葉書を書かれたのは
お亡くなりになる直前のことだったのです。

***********************
ライラック祭りの粧い華やかなる札幌の街に
貴兄よりの力作著書『蒼天のクオリア』が届きました。

著者の慎ましき人柄を反映して
光り輝く美しい冊子に籠もる
たくまぬ人生哲学の数々に
身の引緊る思いです。

懐かしき北大藤本研時代を想起し乍ら
札幌にて厚く御礼申し上げます。早々
***********************

藤本研究室の床に寝そべって
カルコンのサーモクロミズムを発見した雪の夜を
なつかしく思い起こします。

このお葉書が届いてからほどなく
藤本先生はご他界されました。


2007年5月11日(金曜日)

宇宙飛行士毛利衛氏と恩師岡不二太郎教授(2)

カテゴリー: - kawamura @ 10時08分11秒


恩師岡不二太郎教授の奥さま
岡正子さまから手渡された雑誌の記事を紹介します。

それは宇宙飛行士毛利衛氏が、
岡先生の「自然科学概論」の授業に感銘を受けて、
やがて宇宙飛行士への道を歩むというお話しでした。

私も北大理学部の出身ですが、
毛利衛氏も同じ北大理学部で化学を学びましたから、
二人とも私の従兄大関邦夫さんの後輩にあたります。

従兄は北大理学部助教授から弘前大学教授を経て
弘前大学副学長になり、
毛利氏は北大工学部の助教授から
宇宙飛行士になりました。
それで、毛利氏のことは
先輩である従兄の大関邦夫さんからも
学生時代の様子などを聞いたことがあるのです。

しかし、
まさか毛利氏が恩師岡先生の感化を受けていたとは
驚きでした。

以下、記事の一部分をご紹介します。

***********************
宇宙は創造の空間

科学者になりたい
夢を具体的にスタートさせた
北大理学部への入学

(中略・後刻UPします)

そんな私が北海道大学理学部に入学した時から、
「科学者になる」という夢への具体的な歩みが
始まったといえるでしょう。

当時、教養課程の授業で、
いまでも記憶が鮮明に残っている授業があります。
それは、
岡不二太郎教授の自然科学概論という科目でした。

岡教授は、中谷宇吉郎先生の本をテキストとしながら、
「科学とは何か」「真実とは何か」
について話を進め、

「大学の教科書というのは、
 現役の教授たちが書いているわけであるから
 間違いがたくさんある。
 いま現在正しいと思われていることも、
 それは現時点で矛盾がないから正しいだけであって
 永遠の真理ではない。
 真理は偉大な誤謬である。」

と強調されたのです。

ちょうど自然科学の方法論という根本的なテーマに
強いこだわりをもっていたときだけに、
「なるほど、大学の講義というものは違うものだなあ」
と新鮮な驚きを感じさせてくれたことを覚えています。

1992年9月12日から8日間にわたり、
私は米スペースシャトル「エンデバー」の
搭乗員の一人として、
43件の宇宙実験に取り組みました。
日米双方の科学者が提案・準備したもので
無重力・超高真空などの宇宙特有の環境利用する、
地上では実現不可能な実験です。

この実験を通して私たちは、
「化学反応の基礎的な過程はどうなっているのか」
「生命が誕生するのか」など、
長年多くの人々が抱き続けてきた疑問に
答えを見つけていくための糸口をひらく仕事が
できたと思っています。

またこれまでの「常識」、「理論」を
くつがえすような新しいデータが得られる中で、
私たちがスペースシャトルに乗り、
宇宙に飛び出すと言うことは、
「科学が、真理を解釈するための誤謬である」
ことを確かめる仕事でもあるのだと
改めて感じています。

(後略・後刻UPします)
***********************


2007年5月10日(木曜日)

宇宙飛行士毛利衛氏と恩師岡不二太郎教授(1)

カテゴリー: - kawamura @ 08時44分53秒


札幌を去る日に、北海道大学時代の恩師
故岡不二太郎教授の奥さま岡正子さまを訪ねました。

私が帰郷してから、
数えきれないほどの励ましのお手紙を下さった岡先生の霊前に、
ご挨拶をしようと思っていたからです。

五月晴れのその朝、
奥さまは和服をお召しになって玄関に立っていらっしゃいました。

霊前に先生がお好きだった静岡の新茶などをお供えしたあと、
奥さまとの話題は、
私たち夫婦でお供をした岡先生ご夫妻との最後の旅行のことでした。

拙著『蒼天のクオリア』から引用します。
(文中の「沢村」は私のことです) 

*************************
沢村は先生の一学生にすぎなかったのに、
はじめてお会いしてから他界されるまでの三十年間、
先生はことあるごとに長い書簡を下さった。

そして平成九年の五月の連休旅行には静岡を訪ねて下さり、
沢村たち夫婦そろって、
晴天の伊良湖岬で先生御夫婦を出迎えた日を、忘れることができない。
初夏を思わせるような海岸で、奥様の写真をとる先生の姿を、
沢村は今も忘れることができない。

二泊三日、沢村は先生の背中を流し、
さまざまの話に興じた。
旅行のあいだ、先生は食事を召し上がらなかった。
先生のその旅は、ご家族も覚悟の旅で、
その二か月後、先生は黄泉の国に旅立たれた。

沢村はすぐに札幌にかけつけたが、
先生はすべてをご承知のうえで、
最後の旅のお供に彼を選んでくださったということだった。

斎場へ向かうバスのなかで、
沢村は声を噛みころして泣いた。
先生は、まさに沢村の生涯をつうじての恩師だった。
*************************

ひとしきり岡先生の思い出にひたったあと、
奥さまは一枚の記事のコピーを見せてくださいました。


2007年5月9日(水曜日)

結城との再会2

カテゴリー: - kawamura @ 08時39分20秒

三日間を、結城の家族とすごしました。
初日の夕刻から
明るい家族にかこまれて楽しいひとときでした。

再会したとき、
結城は私の変わりはてた姿にとまどっていました。
なぜって、当時の私はいまよりずっと痩せていて、
全身鋭い力に満ちていましたから。

翌朝、結城が往診している街のすみずみまで、
子どもさんたちといっしょに車で案内してくれました。

昼食は奥さまもいっしょに
丘の上のレストランで食べました。

午後はなだらかな丘の上でのゲームに興じ、
結城と私、子どもたち、と二つにわかれて楽しみました。

私たちは途中で休み、午後の丘にねそべって話しました。
岡先生のこと、むかしの友人たちのこと、小説のことなんかを、
時を忘れて話しました。
やわらかな時間がながれて、
ふたりを隔てていた35年の歳月の壁は、
ゆっくりときえていきました。

陽ざしが傾いてすこし肌寒くなるまで、
私たちは話しつづけました。

「あのころの河村と話すと、予想した返答より
 2・3手さきの答えが返ってきて、
 それにどう切り返そうとするかがとても楽しかった。
 なにか気の利いたことを答えなければって、
 碁を打っているみたいだったよ」

そういえば結城は囲碁も将棋も五段で、
その認定証が書斎に書けてありました。
結城は当時からその人柄も才能も輝くようでしたから、
多くの若者に取りまかれている姿をよく見かけましたが、
私はどちらかといえばひとりで木刀を片手に
ふらついているようなところがありました。

小太りのやさしいおじさんとなり果てたいまの私からは
想像もつかないでしょうけれども(笑)。

その当時の私を知っているのは結城だけなのです。

彼の家で夕食をふるまわれたとき、
テーブルには、診療医をしていた島から送られてきた
海の幸があふれていました。

眠る前に、
何年もまえに行き詰まってしまった私の哲学などについて
話しました。
これは他人には秘している内容で、
私の思想の核をなしています。
そのことについては
今回すこし話し足りない思いがありましたから、
つぎに彼に会ったときには
もう少し踏みこんで話してみようと思っています。

近々結城夫妻が、私の家を訪ねてくれますから、
そのときの楽しみにとっておきましょう。

翌日の昼近く、私が去るとき、
駅まで子どもたちも見送りにきてくれて、
列車が出るとき、駅舎の窓から、
大きく手を振っている結城の笑顔と
子どもたちの姿がみえました。

たった三日のことなのに、
切ないものがこみあげてきて、
列車の窓から私も大きく手を振りました。
振りつづけました。


2007年5月8日(火曜日)

結城との再会1

カテゴリー: - kawamura @ 08時47分46秒


ふたりの意見が一致したところは、
よくもまああれほどまで遠くへ行ったものだということだった。

若く、恐れを知らぬ二人だった。
芸術の核にふれるためなら命もいらぬほどだった。

そして、その宇宙の中心のようなところから急旋回して
よくもまあ現世へ帰ってこられたものだという感慨をまじえて
しばらく話した。

あのころの私たちを取りまいていた美の戦士たち、
美神との戦いに青春をささげた彼らの骸(むくろ)は、
いまは野の果ての風にさらされているのだろう。

それから35年の歳月がながれ、私たちは生き残った。
老いて生きのびた我らにできることは、
彼らのために瞑目し、
彼らの凛々しい生きざまを語りつぐことだろうか。

いや、そうではないだろう。

彼らの頭蓋を吹きぬける風の声に耳をかたむけよう。

彼らは、
私たち二人がふたたびあの旗を掲げることを望んでいるのだ。

あの美の旗を、ふたたび我らふたりで掲げよう。

なつかしい書物が壁を埋めつくす彼の書斎の中で、
私たちは語り合った。

おそらく私たち二人は戦いのさなかに、
あれを見たのだろうというあたりでも意見が一致した。
あれ、というのはあれのことだ。
それは言葉で言い表せない。
芸術をとことんやり尽くした暁闇の地平にうかぶあれのことを、
いったい他に言いようがあるのだろうか。

すくなくとも結城と私にはわかっている。
それがすべてでそれ以外にはなにもないことを。

だから私たちは、
私もそこそこ生活しているし、
結城はその地域では名の知れた医者となった今でも、
それを求め、
なんとか表現しようとしているのだ。
五十半ばになった今でもだ。

再会したとき、
彼は黒髪だったが私の髪は白髪と化していた。
35年の歳月はたしかに流れたのに、
再会を果たした私たちは、
二十歳のままだった。


2007年5月7日(月曜日)

再会前

カテゴリー: - kawamura @ 07時53分41秒

機上から島影を見て、息をのみました。
海のうえに雪山が浮かんでいるのです。

火山特有の鋭角な稜線に、
巨大な爪でひっかいたような
深い山ひだがくっきりとしています。

その島に降り立ち、一泊して、翌日、
結城が診療所の医師として赴任した
もうひとつの島へ渡りました。

最初の島とは一変してなだらかな丘陵の島でした。
タクシーの運転手に聞くと、
結城の名前をおぼえていました。
その口ぶりには、
結城へのあたたかい感謝の気持ちを
にじませていました。
島民から慕われていたことが
ほんとうだったと知りました。

午後はフェリーで島を離れて、つぎの港町に向かいました。
すこし肌寒く、スプリングコートの襟を立てました。
結城と再会する、前日のことでした。


2007年4月22日(日曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』読者の皆さまへ(5)

カテゴリー: - kawamura @ 08時38分47秒

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、
結城(仮名)からコメントがきました。
一昨日の日記にです。

いまお読みの記事の左「最近のコメント一覧」に、
君の中の僕へ
と書かれているのがそれです。

コメント文を転載してみましょう。

*************************
不思議な気がする。
この再会は大切な気がする。
丁度去年の暮れから、小説を書き始めた。
まとめなくてはいけないと思い始めた。
生活も立て直さねばならないと思った。
それで三月の半ばより、四月二十三日以降の仕事をみんなキャンセルした。
何にもしないことにした。
全部断っていた。
ゴールデンウィークを挿んだ三週間は仕事もしないことにして職員に何もしないと話をしていた。
どんな予定も入れるな、って言ってあった。
そうしたら、ファックスが来た。
分からない。
でも、何かがあるという気がしてならない。
「扉」を開けてみるのは、怖い。
でも、きっと開けてしまうだろう。

Comment by 君の中の僕へ — 2007年4月20日(金曜日) @ 19時24分11秒
*************************

医師である彼は多くの講演をこなし、公職にもついているのですが、
それらを皆断って、小説を完成することに懸けていたのです。
そこへ突然、私がファックスで連絡をしたことになったようです。

それにしてもこのコメントは、
昔と変わらぬ彼のまっすぐな心情をよくあらわしています。
彼の医師としての多くの業績は、まさにそのお人柄によるのでしょう。
地域の人々から頼られ尊敬されているわけがよく分かりました。

私のことは、十二年前に公開したホームページに、
おもにこれまでの文学歴史研究などの経歴がすべておさまっています。
あるいはこのブログにも、
HPの欠けている部分や仕事のことなんかを書きました。

私は一昨年まえから
貴君の院内新聞をweb上でつぶさに読んでいますから、
おおよその貴君の経歴を承知しています。
離島の医療に青春をささげたことも知っています。
島を去る日に、
そこでの給料を島に寄附してきたことも知っています。

これだけお互いに事前に理解していれば、
お会いした途端に、
三十五年の空白などなかったように、
文学の本質などについて語り合うことになるでしょう。

私はすっかり白髪になりました。
昨年はがんの手術もしました。
しかしまだ僅かに、こころの底に、
「僕等の輝いていたあの時代」の残り火が青く燃えています。

岡先生の研究室をはじめてふたりで訪ねた日のことなんかが、
なつかしく思い出されます。
でもそういう話しは、
お会いしたときのためにとっておきましょう。

ふたりで「扉」を押して、
「僕等の輝いていたあの時代」へ帰りましょう。

訪問の日程は、先日の電話での約束通りにする予定です。
確認のために、今日もう一度電話かファックスをします。
お返事を下さるときには、メールでかまいません。
アドレスを書いておきます。
kabuto@mwc.biglobe.ne.jp

お会いできる日を、とても楽しみにしています。


2007年4月18日(水曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』読者の皆様へ(4)

カテゴリー: - kawamura @ 08時53分42秒

きのうのNHK「プロフェッショナル」を見て、
盲導犬が茂木先生にとびつく姿に、
深いよろこびを感じました。

私は生まれてから40代の後半まで、
ずっと犬を飼っていましたから、
犬が人を見ることを知っています。

犬があんなにじゃれつく相手は、
動物好きの邪心のない人だけです。
仲間を感じたときだけのようです。

住吉アナには申し訳ないけれど、
盲導犬は彼女ではなくて茂木先生をえらびました。
彼女は犬になれないのか、
眼にすこし恐怖の色がありました。
それで迷わず茂木先生をえらんだのです。

茂木先生を尊敬していてよかった、
とつくづくそのとき感じたのです。

静岡の山あいの地にすむ
私のつたない作品『蒼天のクオリア』に、
2000字にも及ぶ序文を書いてくださった
茂木先生の慈愛を、
あらためて感得した瞬間でした。

その茂木健一郎先生が、
今日は「笑っていいとも」に出演します。
「クオリア日記」にもありましたので、
私も花束をお送りしました。

タモリとのやりとりが、とてもたのしみです。


2007年4月16日(月曜日)

茂木健一郎先生序文 『蒼天のクオリア』 読者の皆様へ(3)

カテゴリー: - kawamura @ 08時34分01秒

結城から郵便がとどきました。
原稿用紙にして二百八十枚ほどの小説原稿に、
五枚ほどの手紙がそえられていました。
もちろんその内容は明かせません。

ただその手紙の中に、

僕等の輝いていたあの時代

と書かれていて、私はそのひと言で充ち足りました。

三十五年一睡の夢、とでもいうほどに、
歳月をひと跳びにこえて、
二十歳のころとすこしも変わらぬ熱情あふれる彼の手紙でした。

「君と話したい」「30日の件は、本当に楽しみにしています」
とも書かれていました。

ふしぎなことに、私が贈った二冊の本
蒼天のクオリア』『冑佛伝説』への返礼として、
彼の小説がそえられていたのは、
私が能力的にも体力的にもこれが最後と思って書いたように、
彼も同じ思いで昨年から書きはじめたというのです。

「君のことも書きました。千枚以上の原稿があります」
と書かれていて、それがとても気になります(-_-;)。

四月三十日に顔をあわせたとたんに,
二十歳の僕等にかえって堰を切ったように話しはじめるのが、
いまから眼にみえるようです。


2007年4月15日(日曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』読者の皆様へ(2)

カテゴリー: - kawamura @ 06時59分22秒

蒼天のクオリア』、あれは実話ですか?
と先日も聞かれました。

実話です。

結城秀(仮名)も実在の人物です。
彼が主宰していた「しらとり」という同人誌も、
一冊私の手もとに残っています。
真っ白な表紙に、しらとり、と彼の自筆で書かれています。

あれは結城にとって、北大時代の記念碑だったのでしょう。
あるいは苦い思い出だったのでしょうか。
それは彼に聞いてみなければわかりません。
その後彼がどのような道をたどったのか、
それは再会のあとで公表することといたしましょう。

「しらとり」の中ほどに、
「瑶一郎にささげる」として、
天才」という表題の詩が載っています。

なにをかくそう、瑶一郎、とは私のことです。
谷島瑶一郎、というのが当時の私のペンネームでした。
気恥ずかしいことではありますが、
結城が私をその詩のようにとらえていたのは確かなようです。

「天才」という詩の本文は、
拙著『蒼天のクオリア』に全文掲載されていますから、
興味がおありの方はどうぞそれをお読みください。

結城はその同人誌の中で、
「アルジェの朝」という小説を発表しています。
私の作品なんかよりはるかにしっかりとした秀作で、
その小説の登場人物に、ロドリゴ、という男がいて、
どうもそれは私をモデルに書いたような気がしてならないのですが、
それは再会をはたしたときに聞いてみようと思っています。
彼はもう忘れたかもしれません。
なんといっても、もう35年の歳月がながれたのです。

先日、彼は電話のむこうでささやくように、
「話したいことは山のようにあるよ」と言いました。
話したいことは、私にも山のようにあるのです。

35年の歳月を越えて、
輝く五月の陽光の下で、笑顔で彼と再会します。
北海道の五月は、一面に花が咲きみだれて、
薫る風がながれています。


2007年4月13日(金曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』読者の方へ

カテゴリー: - kawamura @ 06時35分40秒

これは、拙著『蒼天のクオリア』をお読みになった方にしかわかりません。
結城秀、という登場人物を憶えていらっしゃいますか。

結城秀には実在のモデルがいて、彼は私が学生のころの友人でした。
文学仲間として、ともに切磋琢磨していたころのことです。
結城が、二十歳の私の前からふいに姿を消して、それから35年の歳月がながれました。

昨日その彼と連絡が取れたのです。

思いがけぬおだやかな声でした。
二十歳のころの凛々とした声ではありませんでしたが、
落ちついた成功者の声でした。

じつは彼はある街の高名な医師として活躍しているのです。
ネットで調べると、医学博士として多くの論文も発表しています。

その結城(仮名)と4月30日に会う約束をしました。
35年ぶりの再会です。

5月の連休明けに、彼の承諾を得て、
再会の様子や、彼の実名を公表するつもりです。
おたのしみに。

(「山岡鉄舟の鉄扇」シリーズはしばらくお休みです)


2006年12月30日(土曜日)

茂木健一郎先生序文『冑佛伝説』読者感想(10)

人形作家アラヤシキ・ツネさまからいただいた
mixiトピックへの書きこみと、メッセージの全文、
また、私の返信もふくめて、そのやりとりのすべてを、
アラヤシキさまの承諾を得て連載することにいたしました。

***************************************************

差出人 : アラヤシキ・ツネ

日 付 : 2006年12月26日 22時02分
件 名 : ブログに泣いています。

河村隆夫さま

こんばんは。
河村さんのブログを拝見しながら泣いています。

『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』
私の住んでいる枚方市の図書館に購入して貰います。
そして、佛教大学と出身高校に贈ります。

河村さんの真摯な魂がこもった
『蒼天のクオリア』、『冑佛伝説』が
多くの人々に永遠に読み継がれることを心よりお祈りいたします。
                    アラヤシキ・ツネ 


2006年12月29日(金曜日)

茂木健一郎先生序文『冑佛伝説』読者感想(9)

人形作家アラヤシキ・ツネさまからいただいた
mixiトピックへの書きこみと、メッセージの全文、
また、私の返信もふくめて、そのやりとりのすべてを、
アラヤシキさまの承諾を得て連載することにいたしました。

**********************************************

差出人 : アラヤシキ・ツネ

日 付 : 2006年12月21日 11時28分
件 名 : Re: おはようございます。

河村隆夫さま

メールに心より感謝いたします。

> 6000字にも及ぶ茂木先生の序文は、
> 思わず「士は己を知るもののために死す」
> という言葉を思いおこさせるほど、
> 私にとって感慨深いものでした。

「士は己を知るもののために死す」
美しい思想ですね。
白州正子や小林秀雄あたりから聞こえてきそうな
響きがあり感動しました。
私と同世代に河村さんのような方がおられるのが驚きです。

> ところで、人形をおつくりなのですね。
> お写真を拝見すると、妖しさのただよう素敵な雰囲気ですね。
> 永遠の命に、とても魅力を感じます。
> 僭越とは存じますが、コミュニティを立ちあげて、
> さまざまなアングルからお撮りになった人形の写真展を
> ひらかれたらいかがでしょうか?
> 多くの方々が、喜ばれることと思います。

素敵なアイディァを有難うございます。
時機を待って是非実現したいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして時節柄どうかご自愛ください。  アラヤシキ・ツネ 


2006年12月28日(木曜日)

茂木健一郎先生序文『冑佛伝説』読者感想(8)

人形作家アラヤシキ・ツネさまからいただいた
mixiトピックへの書きこみと、メッセージの全文、
また、私の返信もふくめて、そのやりとりのすべてを、
アラヤシキさまの承諾を得て連載することにいたしました。

**********************************************

宛 先 : アラヤシキ・ツネ
日 付 : 2006年12月21日 09時29分
件 名 : おはようございます。

静岡の河村です。
ご丁重なメッセージと、トピックへのコメントと、
あわせてお礼申し上げます。

> 茂木健一郎さんの序文を読んでいると
> 私には、河村さんと茂木さんが
> まるでひとつになったように感じられました。
> それほど迫力のある文章でした。

6000字にも及ぶ茂木先生の序文は、
思わず「士は己を知るもののために死す」
という言葉を思いおこさせるほど、
私にとって感慨深いものでした。

> 『蒼天のクオリア』、『冑佛伝説』の大ファン、
>              アラヤシキ・ツネより。     

ありがとうございます。
あたたかい励ましのお言葉に、心から感謝申しあげます。

ところで、人形をおつくりなのですね。
お写真を拝見すると、妖しさのただよう素敵な雰囲気ですね。
永遠の命に、とても魅力を感じます。
僭越とは存じますが、コミュニティを立ちあげて、
さまざまなアングルからお撮りになった人形の写真展を
ひらかれたらいかがでしょうか?
多くの方々が、喜ばれることと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


2006年10月5日(木曜日)

速報!Amazonで4,789位『蒼天のクオリア』

カテゴリー: - kawamura @ 12時51分14秒

2006年10月5日14:57現在

拙著『蒼天のクオリア』が「Amazon.co.jp ランキング: 本で4,789位」です。
12時40分には「Amazon.co.jp ランキング: 本で9,961位」、
7時58分には「Amazon.co.jp ランキング: 本で259,625位」でした。
ついに、5000番以内に入りました。

 年 月 日  時  分
061007 10:27 Amazon.co.jp ランキング: 本で 6,899位
061030 19:45 Amazon.co.jp ランキング: 本で 9,259位
061209  5:21 Amazon.co.jp ランキング: 本で 19,391位

http://www.amazon.co.jp/gp/product/478389597X/ref=pd_rhf_p_1/249-2157088-9769113?ie=UTF8


2006年9月23日(土曜日)

怪談・湧きいずる『蒼天のクオリア』

カテゴリー: - kawamura @ 08時31分45秒

8月5日から、拙著『蒼天のクオリア』のamazon売り上げランキングを記録しつづけています。

amazonに登録されている膨大な数の書籍のほとんどが「ランキングなし」で、
私の調べたところでは、本のランキング最低順位は100万番台のようです。

『蒼天のクオリア』は、8月29日に「20,248位」(これはあまりのうれしさにブログ記事にしてあります)、
それから2週間ほど下がりつづけ、やがて「新品800円」の表示が消えて「ユーズド商品5000円」だけになったとき、
私は版元の静岡新聞社のO(オーです。マルではありません)さんに電話しました。

「本の在庫をamazonへ納品している問屋へ送って下さい」
「はいわかりました」

それから1週間ほどすると、amazonのサイトに、「新品800円」が表示されました。
Oさんが送ってくださったものと信じて感謝しておりました。

その直後、9月17日12時13分に、突然ランキングが「7,042位」になりました。
これは速報としてブログ記事にもしています。
その画面も、記念にファイルにおさめて大切に保存しました。

それからランキングはすこし下がりましたが、ふたたび9月21日に「18,824位」に戻したあと、
やがて「新品800円」の表示が消えて「ユーズド商品5000円」のみとなりました。

「ユーズド商品5000円」というのは、静岡新聞社の梶さんのお話しですと、
古本屋さんは、これと目をつけた本には、将来を見越して高値をつけるのだそうです。
(この話もブログに書きました)
「こころの書店」様は、『蒼天のクオリア』について、そのコメント欄で「入手極めて困難な名著です!」と評価してくださいました。
こころから感謝いたしております。

ところで、9月22日に、またまた静岡新聞社に電話しました。

「amazonの『蒼天のクオリア』の在庫が切れたようですから、とりあえず手持ちの本をそちらへ持っていきます」
「はいどうぞ」

新聞社の応接でまっていますと、はじめておめにかかるOさんが、開口一番おっしゃいました。

「『蒼天のクオリア』は当社からamazonにおろしている商品リストに記載されていません」
「えっ、どういうことでしょうか??」
「『蒼天のクオリア』のamazonへの出品は、当社ではおこなっていないということです」
「以前、本の在庫を問屋へ送ってくださいとお願いしたことがありましたが??」
「送りませんでした」
「えっ???・・・?????」

私は完全に理解不能に陥ってしまいました。

「ということは、amazonに「新品800円」として出品しているのは、誰なんでしょう??」
「わかりません」

怪談です。
amazon『蒼天のクオリア』のサイトを見れば、
「新品800円」が表示されると、たちまちランキングが「7,042位」や「18,24位」をつけて、
ランキングが下がると新品の表示が消えて「ユーズド商品5000円」となるのは確かなことです。

興味がおありの方はお調べになってみるとよろしいのですが、(「そんなにヒマではない!」としかられそうですが)
「7,042位」というのは、amazonに登録されている書籍の上位1パーセント以内に入っているということで、
かなりの冊数が動いたはずなのです。

ところがその「新品800円」の『蒼天のクオリア』が一体どこから湧き出てきたのか、誰にもわからないのです。

怪談・湧きいずる『蒼天のクオリア』とは、そういうことです。

(余談。「出づ」か「出ず」かは悩みましたが、広辞苑を参考にいたしました)


2006年9月17日(日曜日)

速報!Amazonで7,042位『蒼天のクオリア』

カテゴリー: - kawamura @ 12時17分45秒

2006年9月17日12:10現在
拙著『蒼天のクオリア』がAmazon.co.jp ランキング: 本で7,042位です。
これはたまゆらの喜びにて、悲しいことに、1時間ごとに降下してゆくのです。 :twisted:

http://www.amazon.co.jp/gp/product/478389597X/ref=pd_rhf_p_1/249-2157088-9769113?ie=UTF8

ちなみに、村上春樹の『羊をめぐる冒険』(上)は、
13:08現在、Amazon.co.jp ランキング: 本で15,051位、です。(笑)

瞬間的ですが、村上春樹のふる〜い作品には勝てたのかも?!(笑)


2006年8月29日(火曜日)

『蒼天のクオリア』Amazon20,248位

カテゴリー: - kawamura @ 21時51分38秒

びっくりしました。

『蒼天のクオリア』が、8月29日午後9時48分現在、

「Amazon.co.jp ランキング: 本で20,248位」です!!

どうぞ、下記URLをクリックしてご覧下さい!

http://www.amazon.co.jp/gp/product/478389597X/249-2157088-9769113?v=glance&n=465392


2006年8月2日(水曜日)

茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』

カテゴリー: - kawamura @ 08時26分35秒

拙著『蒼天のクオリア』への書評として、
「入手極めて困難な名著です!」と、Amazonのユーズド商品のサイトに書かれています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/offer-listing/-/478389597X/used/ref=sdp_used_b/249-2157088-9769113

これは著名な脳科学者茂木健一郎先生が、一昨年の3月に、
私の青春自伝小説のために2000字にも及ぶ序文を書いて下さったことへの評価であろうと思います。

茂木健一郎先生のお名前は、
NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」(毎週木曜22:00〜22:44)、
日テレ「世界一受けたい授業」での「アハ!体験」、
BS日テレ「ニューロンの回廊」などなど、
どなたも一度はTV画面でご覧になったことがあるのではないでしょうか。
また、御著書『脳と仮想』で「第四回小林秀雄賞」を受賞された著名な作家であることは、言うまでもありません。
このように多方面でご活躍の茂木先生は、純粋な脳科学者ですが、
先生の先駆的なクオリア研究とその才能が時代の潮流に受けいれられたのでしょう。
さらに天馬空を行くが如きご活躍を期待しています。

また、この本を装丁してくれたのが、銅版画家の友人高橋シュウ氏でした。
彼は新潮文庫のカミュの表紙なども手がけていて、
ポーランドのクラコウ国立美術館や日本の国立国際美術館などにも作品が所蔵されています。
高橋は、大学時代からの、三十年来の友人です。

左 銅版画家高橋シュウ氏 中 茂木健一郎先生 右 私
(2006年5月1日、於東京芸術大学、茂木先生の授業受講後の写真

                          

ふたりとも友人として、この本の出版にこころよく協力して下さいました。

Amazonでは拙著『蒼天のクオリア』が5000円で売られ、しかも「ロープライス」と表示されている理由は、
以上のようなふたりの畏友のおかげでしょう。

私は、少年期から科学に傾倒し、北大時代には理学部で学びながら文学にものめり込んで、
青春を燃焼し尽くしました。
その追想が、札幌の雪の記憶とともに、齢五十になって舞い戻ってきたのです。

この本の帯に書かれた茂木先生の文章が、拙著の内容のすべてを物語っています。

「一種異様な感銘をうけた・・・
 北の大地に学び、静岡の美しい自然の中で晴耕雨読の生活をし、
 やがて冑佛(かぶとぼとけ)に出会った河村さんのきわめてユニークな人生の中に宿る普遍性を、
 私は信じたい。          茂木健一郎」

第百回直木賞受賞作家藤堂志津子のことや、芥川賞になんどもノミネートされながら、
ついに自殺した佐藤泰志のことなど、さまざまな青春群像を描きました。
夏のお暇な折りにでも、お読みいただければ幸いに存じます。
島田市内の方は、駅前の「BOOKS ZEN」にてお求め下さい。

最後に、脳科学者茂木健一郎先生の序文の一部を抜粋させていただきます。

************************

(茂木健一郎先生による『蒼天のクオリア』序文の一部)

 表現を志し、表現にたずさわる人間の目指すものは、万人に通じる普遍性で
あろう。普遍性は、グローバリズムに踊る現代人が時に勘違いするように、ど
こかそのあたりにふわふわと漂っているのではない。普遍性は、必ず、一人一
人の人間の個別の人生の中にある。ロンドンを一人さまよい、ガラスに映った
貧相な黄色い顔に驚いた漱石のきわめて個人的な生活体験の中にこそ、後に近
代日本文学の金字塔になった普遍性の萌芽があった。
 個別と普遍の交錯する領域には、もっとも創造的な表現の可能性が秘められ
ているのである。
 北の大地に学び、静岡の美しい自然の中で晴耕雨読の生活をし、やがて兜仏
に出会った河村さんのきわめてユニークな人生の中に宿る普遍性を、私は信じ
たい。本書の中には、河村さんが出会ったこの不可思議な世界の実相が必ずや
映し出されているはずである。

*************************

拙著『蒼天のクオリア』をお求めの方は下記URL、
または「BOOKS ZEN」(0547−33−0002)へ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/offer-listing/-/478389597X/used/ref=sdp_used_b/249-2157088-9769113


2006年7月11日(火曜日)

茂木先生序文『蒼天のクオリア』

カテゴリー: - kawamura @ 07時14分06秒

私の青春自伝小説『蒼天のクオリア』に、
著名な脳科学者茂木健一郎先生が序文を書いてくださいました。

それはスペースをふくめば2000字にも及ぶ長文で、
宮本武蔵、夏目漱石などの偉人にまで言及しているもので、
序文というよりむしろ、作家茂木健一郎先生の知られざる文学論とも言うべき、
初期の記念碑的名文です。

入手極めて困難な名著」と、
拙著『蒼天のクオリア』がアマゾンで評価されていることは先日もご紹介いたしましたが、
それは拙著への褒詞というより、前述したように、
2000字にも及ぶ茂木先生の序文によせられた賛辞であろうと思います。

『蒼天のクオリア』はもう市場にはほとんど流通しておりませんので、
その巻頭に輝く茂木先生の序文を、ほんの一部抜粋させていただきます。

************************

茂木健一郎先生による『蒼天のクオリア』序文の一部抜粋

 表現を志し、表現にたずさわる人間の目指すものは、万人に通じる普遍性で
あろう。普遍性は、グローバリズムに踊る現代人が時に勘違いするように、ど
こかそのあたりにふわふわと漂っているのではない。普遍性は、必ず、一人一
人の人間の個別の人生の中にある。ロンドンを一人さまよい、ガラスに映った
貧相な黄色い顔に驚いた漱石のきわめて個人的な生活体験の中にこそ、後に近
代日本文学の金字塔になった普遍性の萌芽があった。
 個別と普遍の交錯する領域には、もっとも創造的な表現の可能性が秘められ
ているのである。
 北の大地に学び、静岡の美しい自然の中で晴耕雨読の生活をし、やがて兜仏
に出会った河村さんのきわめてユニークな人生の中に宿る普遍性を、私は信じ
たい。本書の中には、河村さんが出会ったこの不可思議な世界の実相が必ずや
映し出されているはずである。

*************************

拙著『蒼天のクオリア』をお求めの方はこちらへ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/offer-listing/-/478389597X/used/ref=sdp_used_b/249-2157088-9769113


2006年7月9日(日曜日)

「入手極めて困難な名著」

カテゴリー: - kawamura @ 06時54分47秒


「入手極めて困難な名著」とは、
私が一昨年書いた『蒼天のクオリア』への、アマゾンHP上での評価です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/offer-listing/-/478389597X/used/ref=sdp_used_b/249-2157088-9769113

どうしてそうなったのかは分からないけれど、アマゾンにそう書いてあることはたしかです。
それをコピーしましょう。
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ユーズド商品

蒼天のクオリア
河村 隆夫 (著)

価格   コンディション
¥5,000  良い

コメント:
入手極めて困難な名著です!
少しのカバーイタミ・ページヤケなどありますが、中も全体もかなりキレイです!

==================

ふしぎに思ったので、静岡新聞社出版局の梶さんに訊いてみました。

「これは何なんでしょう?」
「ほう、5000円とは高く評価されましたね」
「どうしてこんなことになるのですか」
「ネットで注文すると、在庫切れとか、入手できないとか、よく言われるんですよ。
 それで需要に応じて、古本に、ネット上で値がつくんですね」
「5000円とはどうしてでしょう?」
「ふつうユーズド価格は1500円とか2000円とかはよく見ますけどね、
 5000円とはえらく高い評価をうけましたね。
 アマゾンっていえばネット本の最大手ですから、需要が多いんでしょう。
 そこに書いてあるように、
 『入手極めて困難な名著』だと、市場が高く評価したということですよ、
 うれしいじゃありませんか」
「でも、私の手もとにはまだすこし本が残っているんですけど」
「それは市場ではわかりませんからね」
「そうか」
「とくにネット市場は全国相手ですから、
 800円の新品はもう手に入らないということですよ」

なんだかふしぎなことになりました。
悪い気はしないけれど、というよりとてもうれしく、くすぐられる気分だけれど、
それよりも、手もとにわずかに残った『蒼天のクオリア』を、どうしたものでしょうか?

どなたかいいアイデアがあれば、教えていただけませんか?


2006年3月2日(木曜日)

「蒼天のクオリア」は実話か?

「蒼天のクオリア」は実話です。

先日、中学高校時代の同級生に会って
拙著「蒼天のクオリア」に話がおよんだとき、
「あれはフィクションか?」
としつこく聞かれました。

実話です。

まさかそんな奇特なかたは(笑)
いらっしゃらないとは思いますが、
もしもご興味がおありの方がいらっしゃいましたら、
その当時の資料はすべて保管されていまして、
私のホームページに
その一部の写真がUPしてありますので、
どうぞご覧下さい。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~nazoden/sub20.htm

登場人物の「結城秀」は
本名を○○秀という実在の人物を
モデルにしていますが、
彼が「クオリア」について語るシーンだけは、
ただひとつのフィクションです。

彼が語る「クオリア」は、
私が茂木先生のMLに投稿したもので、
「クオリアの定義」として
茂木先生のホームページに登録されています。
2000年9月9日に書いたものです。

http://www.qualia-manifesto.com/rfc/rfc14.html

○○秀のホームページは、
「蒼天のクオリア」を上梓したそのとき、
版画家の高橋シュウが見つけました。

このへんのいきさつは、
まさに小説よりも奇なり、で
いつか「続・蒼天のクオリア」として
書いてみたいと思っていますので
そのアドレスは秘密です。

ともあれ、
拙著「蒼天のクオリア」は、
あとがき、に書かれているように
私の青春自伝小説であり、
実話です。


2005年7月15日(金曜日)

緊急報告!!

カテゴリー: - kawamura @ 10時54分05秒

我らが茂木健一郎先生が、
今週土曜日、7月16日午後7:57から、
静岡第一テレビ「世界一受けたい授業」に出演されます!!!

茂木健一郎先生は、6月6日に「御林守河村家住宅」に御来訪くださいまして、約5時間半の有意義な時間を先生とともに過ごさせていただきました。
その記録は私のブログにも書きましたが、茂木先生の「クオリア日記」にも、くわしく書かれています。

また、先生は、拙著「蒼天のクオリア」の序文を書いてくださいました。

今回のテレビ出演につきましては、以下、「クオリア日記」より転載させていただきます。

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

世界一受けたい授業 7月16日放送r
日本テレビ系列 世界一受けたい授業
7月16日(土) 午後7時57分〜8時54分

3時限目
茂木健一郎 先生
『最先端脳科学が解き明かした頭を良くする方法!
 茂木健一郎先生の“アハ体験のススメ”』
http://www.ntv.co.jp/sekaju/

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

みなさま、ぜひぜひ、ご覧ください!!!


2005年6月8日(水曜日)

初夏の訪問者

カテゴリー: - kawamura @ 07時14分23秒

陽ざしのふりそそぐ正午ちかく、玄関にハイキングのご夫婦が立っていました。掛川から倉見川をのぼって、大代川の上流から金谷へむかう途中で「河村家住宅」を見にたちよりました、ということでした。
はじめてお目にかかる方で、お名まえをおききすると、やさしい笑顔で「鴻野です」とこたえられました。「榛原高校の中村肇先生から、河村さんのことはうかがっています」と話されたとき、はたと思いあたりました。

三十年前、私は札幌で学生生活をおくるかたわら、小説らしきものをかいていました。そのとき、新聞や雑誌で私とともに大きくとりあげられていた若手作家が、佐藤泰志でした。佐藤は東京で学生生活をおくっていましたが、故郷が函館なので、北海道内の文芸時評欄になまえがでていたのです。新聞の文芸欄に、大見出しで「抜群の佐藤と谷島」と書かれていたころのことです。佐藤は佐藤泰志のこと、谷島は私のペンネームでした。

昨年私は、「蒼天のクオリア」と題して当時の回想録を上梓しました。
榛原高校の中村先生からのお電話で、「教頭の鴻野さんにもお読みいただいたら、佐藤泰志の学友だったそうで、とても驚いていましたよ」とのお話でした。佐藤泰志を知るものがこの地にいるとは、私には思いがけないことでした。帰省して以来、私は文学のことなどだれにも話しませんでした。それが突然、若き日の好敵手を知るものがあらわれるとは、喜びでした。
その、佐藤泰志を知る鴻野さんが訪ねてこられたのです。

風鈴のなる奥座敷で、鴻野さんご夫妻は、私がもちだしてきた当時の新聞や雑誌を目にして、おふたりとも学生時代に戻ったように、学友の佐藤のことを話していました。
荒れはてた庭に風鈴がなっていて、それは遠い記憶を呼びさますように、鴻野氏のこころに、私のこころに、ひびきました。

それからおふたりは、初夏の奥座敷で、リュックのお弁当を食されて、しばらくしてからお帰りになりました。陽ざしのふる谷間の白い道に、おふたりの後ろ姿がゆっくりときえていきました。
ひとはこの青葉の初夏をともに生きることもできるけれど、同時に、三十年前の初夏もともに生きられると知りました。

青嵐が樹々の葉裏をかえして、山肌をしろくそめながら吹きあげてゆきます。

(左)廃園の池と倉
モリアオガエルのたまご(中央の白い袋状のもの)


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