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2006年9月28日(木曜日)

山の木

カテゴリー: - kawamura @ 09時17分26秒

山の木々を売ろうとする人たちは、山の木のことを立木(りゅうぼく・たちき)と呼びます。
父が亡くなったあと、立木の売り方を母から学びました。
何度もふたりで山へ足をはこんで、まず、どの木が売り物になるのかを教えられたのです。

根っ玉勝負で、根っこにちかい一番太いところから幅のひろい良材がとれますので、
そこに太い枝もなく(つまり製材したときに節目がでないということです)、
まっすぐに伸びているかどうかをみるのです。
枝が極端に多いとこれはまた希少価値が出て来て高く売れますし、
斜面に生えている木はどうしても根っ玉が曲がりますから高くは売れません。
根っ玉だけでもまだまだいろいろな見方があるのです。

つぎに、丈三(じょうさん)といって、一丈三尺、つまり約4mの材木がとれる長さを、
ひとっくる、と言って、それがその木からいくつとれるかを、高い木を見上げて決めるのです。
この木は六つ、これは七っくるくらい、というふうに見きわめる訓練です。
母とふたりでしずかな山のなかを歩きながら、私が「これは○くる、あれは○くる」と言うのを、母が評価するのです。
ぱっとみてそれを決められるようになるまでには、しばらくの日数を要しました。
思えば25年ほど前のことになります。

つぎに目通りといって、大人の目の高さで、幹に巻き尺をまわしてその木の太さを測るのです。
ですから、売り手、つまり山主はなるべく背のひくい人を出して、山すその方に立たせて測り、
買い手は背の高いひとが斜面の上から測れば細くなるのもですから、それを基準値にして立木の体積を計算すると、
売り手と買い手では石高(体積)に大きな差が出るのです。
なんともアバウトな世界でしたが(笑)、いまでもそうしているのでしょうか。

これ以外にも、樹皮についた苔の様子、きつつきのこと、通し柱といってあまり太くない木で、まっすぐに一階と二階を貫いて使える材のことなど、
立木の売り方についてたくさんのことを母から教えられました。

杉の木の育ちやすい土地、檜に適した土地、かえって広葉樹の方が経済効率の良い山など、
教えられた母の言葉が、想い出の森のむこうから木霊してくるようです。

これらはうろおぼえのところも多いので、おそらく関係者の方がこの文章をご覧になれば、滑稽なところもあるでしょう。
母から教えられたことは、一冊のノートにしてどこかにとってあるはずです。
妻には一通り話しましたが、娘にもそれを伝えるために、いつかいちど赤字覚悟で、山の木を売るすがたを見せなければなりません。
国産材は、安価な外材におされてほとんど価値を失いましたから、いまは売り時ではないのですが。

それでも、いつの日か山が見なおされるときも来るでしょう。
その日のために、先代から口伝でつたえられた良材を見きわめるさまざまな方法を、子孫につたえねばなりません。


2006年7月25日(火曜日)

「文藝春秋」御林守広告

カテゴリー: - kawamura @ 05時47分50秒

御林守河村家の古文書の写真と、江戸時代における御林守の役目が、
現在発売中の「文藝春秋」164・165ページに富士ゼロックスの広告として掲載されています。

http://www.fujixerox.co.jp/event/cm/csr/index.html

江戸幕府が、建築用材や燃料資源として、幕府直轄山林「御林」を所有していたこと、
それを厳しく管理していたことについて、このように書かれています。

「御林奉行や御林守の指示・立ち会いのもと、必要な木材が伐り出された」

「乱伐は御法度、
 江戸の森林管理法。

 目覚ましく都市が発達し、建築・土木ラッシュ
 でもあった江戸時代。城郭や武家屋敷などの
 用材や、道路や河川の整備に、膨大な木材が
 必要となったのですが、その供給を支えていたのが、
 徹底した森林管理でした。幕府は『御林(おはやし)』と
 よばれる直轄林を制定し、これを、御林奉行や御林守といった
 専門の役人が厳しく管理。木の種類や種類別の本数、
 その成長具合までをくまなく調査したうえ御林帳に詳しく記し、
 これをもとに、どこのどの木をどれだけ使ってよいか
 細かい指示を出して、勝手な伐採を禁止していました。
 また、木の伐採にも専門の職人たちを雇い、入山した人数までもらさず
 チェックしたとか。江戸の昔にも、持続可能な木材供給のために、
 ルールに基づいた森林管理が行われていたのですね。(後略)」


2006年7月10日(月曜日)

御林守「文藝春秋」

カテゴリー: - kawamura @ 23時27分08秒

本日発売の文藝春秋に、御林守の富士ゼロックス広告が掲載されています。
164,165ページをご覧ください。

これは月刊誌ですから、これから一か月間、全国の書店の店頭にならびます。
いままでだれも知らなかった「御林守」の仕事や、その格式が、
確かな言葉で語られて、ようやく人々の目にふれることになりました。


2006年7月6日(木曜日)

御林守「富士ゼロックス広告」

カテゴリー: - kawamura @ 08時03分11秒

富士ゼロックスのホームページに、御林守の広告がUPされました。

http://www.fujixerox.co.jp/event/cm/csr/index.html

「御林帳」の写真は、私が撮影したものですので、解説文の一番下に、
写真提供/御林守 河村家(静岡県島田市)、と書かれています。

「御林帳」の説明文にカーソルをあわせて、右クリックすると拡大することができます。

この広告は、御林守というあまり知られていない江戸時代の役職名と、
その仕事の内容を、一般に知らせたところに意味があるように思います。

江戸幕府が、建築用材や燃料資源として、幕府直轄山林「御林」を所有していたこと、
それを厳しく管理していたことについて、このように書かれています。

「御林奉行や御林守の指示・立ち会いのもと、必要な木材が伐り出された」

「乱伐は御法度、
 江戸の森林管理法。

 目覚ましく都市が発達し、建築・土木ラッシュ
 でもあった江戸時代。城郭や武家屋敷などの
 用材や、道路や河川の整備に、膨大な木材が
 必要となったのですが、その供給を支えていたのが、
 徹底した森林管理でした。幕府は『御林(おはやし)』と
 よばれる直轄林を制定し、これを、御林奉行や御林守といった
 専門の役人が厳しく管理。木の種類や種類別の本数、
 その成長具合までをくまなく調査したうえ御林帳に詳しく記し、
 これをもとに、どこのどの木をどれだけ使ってよいか
 細かい指示を出して、勝手な伐採を禁止していました。
 また、木の伐採にも専門の職人たちを雇い、入山した人数までもらさず
 チェックしたとか。江戸の昔にも、持続可能な木材供給のために、
 ルールに基づいた森林管理が行われていたのですね。(後略)」


2006年6月27日(火曜日)

富士ゼロックス広告

カテゴリー: - kawamura @ 07時40分01秒

発売中の週刊新潮は、駅前の書店「BOOKS ZEN」でおもとめください。

「週刊新潮」62・63ページに掲載されている富士ゼロックスの広告を、
送られてきたpdfのままUPしようと思いましたが、
ファイルが大きすぎてできませんので、
かわりに私が撮影した写真をUPして、
広告の図と写真の解説文を転載します。

御林奉行や御林守の指示・立ち会いのもと、必要な木材が伐り出された。
(この絵にえがかれている御林守の身につけているもの、
 たとえば陣笠や刀や、手にしている御林帳や、
 あるいは公式の場にでるときの裃(かみしも)などは、 夏物冬物ともにのこされています。
 当時の調度品なども、島田市指定文化財「御林守 河村家」のなかに
 常設展示されています)
「御林帳」
木の種別ごとの本数や成長具合を、
定期的に調査して記録、
森林資源を管理するためのデータにされた。

写真提供/御林守 河村家(静岡県島田市)

(御林守関係文書は、徳川林政史研究所の所三男先生と大友先生によって、 ほとんど解読されています。
 「製茶監督員 河村宗平」を書きあげたあと、 その古文書をもとに
 「御林守 河村市平」を十年ほどかけて完成しようと思っています。
 生きていれば、の話ですが)


2006年6月26日(月曜日)

「週刊新潮」広告本文

カテゴリー: - kawamura @ 05時43分52秒

発売中の「週刊新潮」の62・63ページに掲載されている
富士ゼロックスの広告本文を転載します。

***********************
乱伐は御法度、
江戸の森林管理法。

目覚ましく都市が発達し、建築・土木ラッシュ
でもあった江戸時代。城郭や武家屋敷などの
用材や、道路や河川の整備に、膨大な木材が
必要となったのですが、その供給を支えていたのが、
徹底した森林管理でした。幕府は『御林(おはやし)』と
よばれる直轄林を制定し、これを、御林奉行や御林守といった
専門の役人が厳しく管理。木の種類や種類別の本数、
その成長具合までをくまなく調査したうえ御林帳に詳しく記し、
これをもとに、どこのどの木をどれだけ使ってよいか
細かい指示を出して、勝手な伐採を禁止していました。
また、木の伐採にも専門の職人たちを雇い、入山した人数までもらさず
チェックしたとか。江戸の昔にも、持続可能な木材供給のために、
ルールに基づいた森林管理が行われていたのですね。
現代においても、木材は貴重な資源。違法に伐採された木材を
使わないために、いま、紙も、原料の木材が持続可能性を見据えて
管理されている森林から供給されたものか、明確にすることが
求められています。こういった社会の動きに先駆けて、
富士ゼロックスでは、販売する紙から自社で使用する紙まですべてにわたり、
原料の合法性を確認する独自の規程を制定。これを徹底するための
厳しいチェック体制を、国内はもとより、アジア・パシフィックの
全地域に整えました。紙を扱う企業として、原料の出所にまで責任を持つ。
自らの植林による原料調達や、リサイクルの推進とともに、
これからも、一つひとつ取り組みを進めていきます。


2006年6月23日(金曜日)

「御林守」広告

カテゴリー: - kawamura @ 07時28分44秒

今週号の週刊新潮、62・63ページに、
富士ゼロックス広告として、
エコ社会だった江戸時代において
「御林守」の果たした役割についてえがかれています。

どうしてこのようなことになったのかと申しますと、
東京の広告代理店が富士ゼロックス広告のための「御林帳」の写真をさがしていて、
「徳川黎明会」の林政史研究所などいくつかにあたってみたのですが、
写真提供を拒まれてしまいました。

そこで、インターネットで「御林守」を検索にかけたところ、
トップに「御林守河村家を守る会」が載っていたというわけです。

締め切りを間近にひかえていて、
最後の糸にすがりつくように私のところへ電話してきた
コピーライターの女性のお話では、
ご両親が五和の出身で、母方の実家は大代だというのです。
おもわず眉毛にちょっとツバをつけてしまいましたが、
それでも、切々と「御林帳」の写真をもとめるその女性の熱意にほだされて、
翌朝その写真を撮影してメールで送りました。

考えてみれば、「eコミ」という情報発信の場をあたえていただいたおかげで、
それが「御林守」メジャーデビューのきっかけになったのです。

冑佛(かぶとぼとけ)のときもそうでした。
一昨年、「冑佛伝説」の序章として発表した青春自伝小説「蒼天のクオリア」の
静岡新聞紹介文を日経の記者が目にとめて、
日本経済新聞文化欄に
兜に秘める伝説の小仏」と題された七段抜きの記事が掲載されることになったのです。

さらにその日経の記事を見た
広島のマンション配布新聞会社から原稿依頼があって、
ウェンディ」という全国のマンション配布新聞
(私もそのときはじめてそのような新聞があることを知りました)に、
謎の伝説」と題して冑佛(かぶとぼとけ)の文章が載ることになったのです。

私は言うまでもなく無才の者ですが、
冑佛研究にせよ、御林守河村家を語るブログにせよ、
地道に努力をつみ重ねていくと、
突然なにかの幸運にめぐりあうことを知りました。

今朝は、梅雨空の谷間にたれこめたもやの様子が、
水墨画のようです。


2006年6月22日(木曜日)

本日発売「週刊新潮」

カテゴリー: - kawamura @ 06時31分47秒

富士ゼロックスの広告が、本日発売の週刊新潮に掲載されます。
(島田市内の方は、駅前の書店「BOOKS ZEN」にておもとめください)

江戸時代の、幕府直轄山林を管理していた「御林守」の役目が、
環境問題の観点からえがかれています。

陣笠をかぶり、刀を差して、
「御林帳」を片手に木々の伐採を監視している「御林守」の身につけているものすべてが、
いまでも「御林守 河村家」にのこされています。
また、河村市平がその役目に任じられていたころの、寛政五年(1793)に建てられた住宅は、
島田市指定文化財になっています。

広告につかわれている古文書、それを「御林帳」というのですが、
その写真は私が撮影したものです。

突然、東京の広告会社から電話があって、
御林の木々を一本ずつ調べあげた、いわゆる「御林帳」はないでしょうか、
という問いあわせに、何のことなのかそのときは意味もわからず、所有している旨をつたえました。

それで、我が家につたわる三千点ほどの古文書のなかから適当と思われるものをえらび、
デジタルカメラで三枚撮影して、メールで送ったのです。

やがてその写真が富士ゼロックスの広告につかわれるのを知ったのは、
pdfが送られてきたあとのことでした。

みなさま、
本日発売の「週刊新潮」と、7月10日発売の「文藝春秋」の、
富士ゼロックスの広告を、ぜひご覧ください。

またご感想をコメントくだされば幸いです。


2006年6月18日(日曜日)

富士ゼロックス広告

カテゴリー: - kawamura @ 09時13分09秒

6/22(木)発売の「週刊新潮」と
7/10(月)発売の「文藝春秋」に
富士ゼロックスの広告として、御林守の記事が載ります。

茂木健一郎先生の「クオリア日記」にもとりあげていただきました。

富士ゼロックスは紙とかかわっているから、
管理人Mさんがコメント欄で述べられているように、
とくに東海パルプのある島田市とも縁がある広告のように思います。

なにかこれを機会に東海パルプともつながりができればと思うのですが、
河井先生いかがでしょうか?

また、先日ご報告いたしましたように
広告のなかに「御林守」が登場してまいりまして、
幕府の直轄山林であった「御林」のきびしい管理は、
エコ社会であった江戸時代の山林資源をまもる重要な職務であったことが、
環境問題の観点からえがかれています。

私の撮影した寛政五年(1793)の「御林帳」も掲載されています。

写真提供/御林守 河村家(静岡県島田市)

と表示されていますので、なにかのリアクションがあるかもしれません。
たのしみにしています。


2006年6月16日(金曜日)

御林守

カテゴリー: - kawamura @ 08時01分20秒

よく知られていることですが、
江戸時代には、燃料は薪(たきぎ)と炭、建築資材は材木だけでした。

ですから、現在の石油や電気、ガス、といった燃料や、
また、鉄骨やコンクリートといった建築資材にかわる木材のすべてを、
江戸時代には、山林が供給していたのです。

江戸幕府も、諸藩も、それぞれ大事な資源として山林を所有していました。

幕府直轄の山林は、御林、とよばれ、各藩のもつ藩林とは区別されます。

幕府直轄の御林は非常にきびしく管理されていて、
木の枝や小木だけでなく下草までも、その利用を許しませんでした。

また、御用木流失時の手形のように、
御林の木一本一本がそれぞれ厳重に管理されていました。
それらの木々は、いわゆる「御林帳」によって、
木の種類や大きさごとに本数がチェックされ、
盗伐が行われないよう細心の注意がはらわれていたのです。

幕府は全国に数カ所の御林を所有し、その管理を、御林守にまかせました。

(このたびの富士ゼロックスの広告に登場する「御林守」について、
 しばらくご説明しようと思います)


2006年6月15日(木曜日)

文藝春秋(7/10発売)

カテゴリー: - kawamura @ 05時50分38秒

「文藝春秋」7月10日発売号のなかの、
富士ゼロックスの見開き2ページの広告に、
「御林守」が登場して、
江戸時代におけるその役割の大切さがえがかれるようです。

「御林守 河村家」も、
ささやかではありますが、名前が書きこまれているようです。

来週、6月22日(木)発売の「週刊新潮」ともども、どうぞご覧ください。

くわしいことが分かりしだいお知らせします。

茂木健一郎先生も「クオリア日記」で発表してくださるようです。
心から感謝申しあげます。


2006年6月14日(水曜日)

週刊新潮(来週発売)

カテゴリー: - kawamura @ 06時15分46秒

6月22日(来週木曜日)発売の「週刊新潮」を、ぜひご覧ください!

大手企業の広告として、ほんのささやかではありますが、
「御林守 河村家」のことが扱われるようです。

内容が楽しみです!!

詳細は、分かりしだい後日お知らせします。


2006年6月11日(日曜日)

文化財保護(4)

カテゴリー: - kawamura @ 09時14分54秒

昨日は、「御林守」を見なおすうごきがそろそろはじまってくれるといいですね、
ということでした。

よくきくお話のひとつに、沿岸部の漁業従事者の方々が、
沿岸の海のゆたかさは、そこへ流れこむ河の水の豊かさによることを知って、
山林価格が暴落して崩壊した水源の森林を、自分たちの手で再生させようとしている、
というお話しです。
よく流布されていることですので、お聞きになったことがあると思います。

遠いエルニーニョが日本に天候異変をもたらすように自然のメカニズムは精妙細緻で、
水源の森林と、河口ちかくの海の豊かさとは密接に関連しているようです。

このように、水産資源や大気の浄化とも森林が深くかかわっているというのは、
いわゆる環境問題としてそれをとらえようとする姿勢で、
それと同じように、江戸時代の「御林守」による森林管理も、
環境問題の観点からみなおされるといいな、と思います。

そしてこの環境問題は、
次世代にどのような国土を残すのかという世代間の問題でもありますから、
河井先生の提唱された「文化財サポーターズクラブ」には、
学齢期の児童たちに参加していただくのがよろしいかと思います。

このようにしてみれば、「文化財保護ボランティア」は、
単なるボランティア活動というのでなく、
地球環境とも深くかかわる地域や世代をこえた奉仕であろうと思います。

つづきはまたあした。


2005年7月25日(月曜日)

「御林守河村家」の歴史

カテゴリー: - kawamura @ 00時00分29秒

歴史を、というkawai先生のコメントがございましたので、歴史についてどのように書きつづってゆくのかを、すこし考えてみたいと思います。

「御林守河村家」の歴史は、大別して、四区分できるとおもいます。

一、平安末期〜室町末期・・・河村姓の発祥(平安末期)、大代河村氏の誕生(室町期)
二、戦国期 〜江戸末期・・・大寶神社鰐口、大代村名主から御林守河村家
三、明治維新〜終戦  ・・・河村宗平 (茶業、静岡県製茶監督員)
              河村小次郎(教育、小学校校長・教育委員長)
              河村勝弘 (軍事、中支派遣軍第十三軍司令部参謀部)
四、農地改革以降   ・・・父勝弘から私への「御林守河村家」衰退の記録

じつは、平安末期から室町末期にかけての歴史は、十年の歳月をかけて「遠江河村荘と河村氏」と題するおよそ二万五千文字ほどの拙文にまとめたものを、金谷町史編纂の先生がたにはお読みいただいて、「金谷町史」通史編本編の参考文献にも採用されています。
またその一部は、現在刊行予定の拙著のなかにも記載されておりまして、それが発刊されてからお読みいただくというのはいかがでしょうか。
「遠江河村荘と河村氏」も、いずれ発表しようと思っておりますので。

したがって、区分一、につきましては、そのさわりだけを、おりにふれてご披露することになると思います。

さて、そういたしますと、二〜四のいずれかの歴史になりますから、以下、思いつくままに項目を列挙いたしますので、みなさまがお読みになりたい項目がございましたら、恐縮ではございますが、コメント欄にご記入いただけたらと思います。

1.大寶神社鰐口と河村助次良 2.今川家家臣河井宗忠と河村宗心(祖先) 3.龍燈山法昌院と普門山安養寺と深澤山長松院 4.名主河村市平と御林守河村市平 5.御林 6.御用炭 7.製茶監督員河村宗平 8.教育者河村小次郎 9.中支派遣軍第十三軍司令部参謀部と河村勝弘 10.農地改革と河村家の衰退r

まことにお手数をおかけいたします。
以上の項目からご希望のものをおえらびいただき、コメント欄にご記入をお願いいたします。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。頓首、頓首。 
7/22yfujita氏「石垣が埋もれているように見えるのですが?」
石垣の下に、深い水路が掘られているのです。
道路からみると、石垣の下三分の一ほどが、堤防に隠れてしまうのです。


2005年7月19日(火曜日)

御林

カテゴリー: - kawamura @ 00時08分48秒

よく知られていることですが、江戸時代には、燃料は薪(たきぎ)と炭、建築資材も材木だけでした。
ですから、現在の石油や電気、ガス、また、鉄骨やコンクリートといった燃料や建築資材にかわる木材のすべてを、江戸時代には、山林が供給していたことになります。

江戸幕府も、諸藩も、それぞれ大事な資源として山林を所有していました。

幕府直轄の山林は、御林、とよばれ、各藩のもつ藩林とは区別されます。
幕府直轄の御林は、設置当初は非常にきびしく管理されていて、木の枝や小木だけでなく下草までも、その利用を許しませんでした。
また、御用木流失時の手形のように、御林の木一本一本がそれぞれ厳重に管理されていました。それらの木々は、いわゆる「御林帳」によって、木の種類や大きさごとに本数がチェックされ、盗伐が行われないよう細心の注意がはらわれていました。

幕府は全国に数カ所の御林を所有し、その管理を、御林守にまかせました。
それゆえ、御林守には苗字帯刀がゆるされ、幕府から給米が給付されるなどの特権があたえられていたのです。

この、御林守、につきましては、また後日ご説明いたします。


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