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2006年6月13日(火曜日)

文化財保護(5)

カテゴリー: - kawamura @ 07時52分57秒

きょうはeコミの河井先生発案による「文化財サポーターズクラブ」の概要を
ご説明しましょう。

それはどのような主旨かと申しますと、
小中高の生徒たちに地域の伝統文化や自然環境にふれてもらい、
それらへの愛情を涵養し、その保護活動に参加していただくというものです。

島田市内にはいくつかの文化財建造物がありますが、
それらを見学し歴史を学んだあと、草取りなどの実体験を通じて
文化財保存とその周辺環境の維持保存の意義を体感してもらうのです。

たとえば「御林守河村家」について考えれば、
これまでご紹介してきましたように、
エコ社会であった江戸時代における「御林守」の役目が全国的に見なおされようとしている機運をうけて、
「御林守」の意味を現代の森林環境保全の視点からも説明する必要があろうかと思います。

また江戸時代に「御林守河村市平」がどのような生活をしていたのかを、
のこされている数々の生活用品や、陣笠、裃(かみしも)、刀剣などから、
実際にその目で確認しながら学ぶことができます。

その学習のあと、邸内の草取りや梅の実の収穫などをしてもらうのですが、
その体験実習は、ボランティア活動として学校の学習単位に認定されるのが望ましいでしょう。

つづきはまたあした。


2006年6月11日(日曜日)

文化財保護(4)

カテゴリー: - kawamura @ 09時14分54秒

昨日は、「御林守」を見なおすうごきがそろそろはじまってくれるといいですね、
ということでした。

よくきくお話のひとつに、沿岸部の漁業従事者の方々が、
沿岸の海のゆたかさは、そこへ流れこむ河の水の豊かさによることを知って、
山林価格が暴落して崩壊した水源の森林を、自分たちの手で再生させようとしている、
というお話しです。
よく流布されていることですので、お聞きになったことがあると思います。

遠いエルニーニョが日本に天候異変をもたらすように自然のメカニズムは精妙細緻で、
水源の森林と、河口ちかくの海の豊かさとは密接に関連しているようです。

このように、水産資源や大気の浄化とも森林が深くかかわっているというのは、
いわゆる環境問題としてそれをとらえようとする姿勢で、
それと同じように、江戸時代の「御林守」による森林管理も、
環境問題の観点からみなおされるといいな、と思います。

そしてこの環境問題は、
次世代にどのような国土を残すのかという世代間の問題でもありますから、
河井先生の提唱された「文化財サポーターズクラブ」には、
学齢期の児童たちに参加していただくのがよろしいかと思います。

このようにしてみれば、「文化財保護ボランティア」は、
単なるボランティア活動というのでなく、
地球環境とも深くかかわる地域や世代をこえた奉仕であろうと思います。

つづきはまたあした。


2006年6月10日(土曜日)

文化財保護(3)

カテゴリー: - kawamura @ 07時21分20秒

谷間の朝はとても美しく、毎朝それを楽しめるしあわせを感じています。
朝露にぬれる新緑の樹々や草葉が、陽をあびてきらきら輝いています。

さて、文化財保護のお話しでした。
これは一年ほどまえにコメントバトルというかたちで問題を投げかけたことがございますが、
いったい、「御林守河村家住宅」はだれにとって意味があるのかということでした。

いま江戸時代が見直されています。
鎖国によって閉じた市場のなかで木材がどのように有効に消費されていたのか、
そしてどのようにそれらを管理していたのかは、
我が家にのこされた500点以上の近世文書(御林守関係文書)を精査することで、
しだいにあきらかになることでしょう。

いまはそれほど知られてはいませんが、
江戸時代に「御林守」が果たした役目もやがて人々に見直される日がくるかもしれません。
現代の人々の眼で、(歴史はいつも現在の人々の目を通した歴史ですから)
全国に数カ所存在していた幕府直轄山林「御林」の価値を問い直してみようとする動きが
すこしずつはじまっているようです。

そのような観点から、島田市内にのこされた「御林守河村家住宅」を、
学校の生徒たちに知ってもらうことは大切であろうと思います。
自然環境を大切に管理して生きていた先人の知恵を彼らにつたえることは、
私たち大人の役目でもあります。

そこで、一年ほどまえにeコミの河井先生が提唱された
文化財サポーターズクラブ」を現実のものとしてみようではありませんか。

具体的なお話しはまたあした。


2006年6月9日(金曜日)

文化財保護(2)

カテゴリー: - kawamura @ 07時30分43秒

先日、女性の見学者が裏庭にたつ建物をみて、
「こわれたら二度とかえってこないんですよ」となんだか私をせめるようにつぶやきました。

わかっています。わかっているけれどもどうしようもないのです。
自分の生まれ育った家の屋根や壁がくずれ落ちてゆくのを日々ながめるのは、
自分の生身が腐ってゆくようです。

と、声にだしては言わなかったけれど、ただだまってうなづきながら、
祖先からうけついだものをもちこたえられない我が身のふがいなさをなげくだけでした。

生産性のない文化財とその周辺の景観を維持するのには、莫大な資産を要します。
そういう資産を所有していたころの、
その家格にふさわしい家がたまたまのこされて文化財建造物に指定されたのです。

その資産は、戦後の改革でうしなわれました。
それをわかっていただきたいのです。
建物は往時の「御林守河村家」の住宅ですが、それを守る私はふつうの人なのです。

私にできることといったら、
せいぜい年に一・二回庭師に剪定を依頼し、
年に三回シルバー人材センターに文化財周辺の草刈りをたのみ、
休日に夫婦で屋敷の草とりをして、
晴れた日には母家の戸をあけて風をいれ、
ほんのときおりおとずれる見学者にご説明をすることぐらいなものです。

とはいえ市から指定文化財への補助金をいただいています。
三年ほどまえまでは年間一万円、現在は年間五万円です。

それは一年間にかかる庭師やシルバー人材センターへの支払い等の、
二十分の一ほどにあてさせていただいています。

それを、私たち夫婦は二十年以上つづけてまいりました。
いつまでそれができることでしょう。

ましてや倒れた塀やくずれ落ちてゆく屋根を修復するなど、
とうてい私個人の力でまかないきれるものではありません。

新しい展開を必要としています。
従来の手法で、つまり、文化財の周辺環境を文化財所有者個人の力でととのえるのには、
限界がきています。

おそらくは文化財建造物所有者に共通のテーマとして、
文化財の維持保存のためにあたらしい手法を考えなければなりません。

(梅雨どきがめぐってくるたびに、
 大きな穴のあいた屋根が、私の気をめいらせるのです)


2006年6月8日(木曜日)

文化財保護

カテゴリー: - kawamura @ 05時26分26秒

静岡県「中部地域支援局」がどうして取材にみえたのかは、
昨日のコメント欄をご覧になるとおわかりいただけると思います。

初倉知区で、史料や古民具を所有する方からのお問い合わせがあって
(それが具体的にどのようなものであったのかは存じませんが)、
どうもそのヒントを得ようとしてみえたようです。

指定文化財建造物の維持保存に苦しむ私の立場と、
史料や民具を地域に役立てたいとするその方の立場とは、
歴史や伝統の保存に意義を認めるという意味において、
志を同じくするものでしょう。

島田市内に、歴史文化を民間の力で後世に残そうとする
具体的な悩みをかかえた方がいらっしゃるとは、
おどろきでもありまた友を得たような気持ちです。

これから「文化財保護ボランティア」の創成にむけて、
「中部地域支援局」やその初倉の方とも力をあわせていければと思います。

kawai先生、maekawaさま、またeコミのみなさま、
昨年のセル交流会の成果でもある
「文化財保護ボランティア」や「文化財サポーターズクラブ」の実現にむけて、
ぜひご協力をお願い申し上げます。

また、みなさまは、具体的にどのようにしたらよろしいと思われますか?
みなさまのお考えを、率直にコメントいただければ幸いに存じます。

(石松さま、どう思われますか?)

「投稿記事の一覧表示」から文化財保護関連の記事をお読みになって、
参考にしていただければと思います。

(ところで、梅の実がうれた実をもてあますように、
 わずかな風にはらはらと落ちてゆきます。
 梅の実をお採りになりたい方はぜひお早めに。
 あと数日、と思います)


2005年7月15日(金曜日)

その歴史的意味

カテゴリー: - kawamura @ 08時14分13秒

昨日の日記に、説明をつけたそうと思います。

これは、matumotoさま、yfujitaさまの、
「なぜ「河村家住宅」は市指定文化財に指定されたのですか?」
という両氏のご質問にこたえる文章でした。

さて、有形文化財としての建造物の指定ではありますが、そこにはふたつの側面があります。
ひとつは、建造物自体の価値、もうひとつはその建造物のもつ歴史的価値です。

建造物自体の価値につきましては、昨日、『町の文化財』(平成6年4月1日発行・発行者 金谷町教育委員会)の紹介文を転載いたしましたが、きょうは、この建物のもつ歴史的意味について、ご説明したいと思います。


『金谷町所在文書目録 第3集』(平成3年3月31日発行・発行者 金谷町役場)の全200頁のうち、その約4分の3、つまり12頁から154頁までの143頁にわたって、「河村隆夫家文書」として計3,468点にのぼる河村家の古文書の目録がおさめられています。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

その近世編460番に「本家普請大工木挽人足諸入用目録」があります。
これは、寛政五年(一七九三)に「河村家住宅」を建てたときの記録です。
大代村の名主であった市平が、寛政元年(一七八九)に御林守の役職に任ぜられ、その四年後に、御林守の役所をも兼ねた住宅を建てました。
それが現在の、島田市指定文化財「河村家住宅」です。

御林守とはなにか、につきましては、後日ご説明いたします。

私も、古文書すべてに目を通したわけではありません。
重要なものはおよそ把握しているつもりですが、この住宅のもつ、深い歴史的意味を解きあかすのには、これから長い時間をかけなければなりません。
のこされた人生の宿題と思っています。

梅雨空がつづいています。目のくらむような青空を、はやく仰ぎたいものです。


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