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2009年4月26日(日曜日)

哀川翔と

カテゴリー: - kawamura @ 07時32分06秒

哀川翔と握手してきました。
奥さまとも。

どうして、と思われるかもしれません。
http://ohayashimorikawamurake.at.webry.info/200904/article_25.html


2009年3月5日(木曜日)

鬼の霍乱

カテゴリー: - kawamura @ 09時01分22秒

高校入試が昨日終わったからかもしれません。

きゅうに気がゆるんで、
のどが赤く腫れあがって、熱が出るのです。

微熱にぼうっとした風景のなかを、
小鳥が数羽舞っています。

つづきはこちらへ・・・
http://ohayashimorikawamurake.at.webry.info/200903/article_5.html


2009年1月25日(日曜日)

愛にゃん4

カテゴリー: - kawamura @ 07時30分30秒


しあわせにゃ〜ん

両手に花にゃ〜ん

もう夢の中にゃ〜ん

おもわず足がひらくにゃ〜ん

(ときどき寝言を申します。
 みなさんの猫ちゃんもそうですか?)


2009年1月21日(水曜日)

God Bless Barack Hussein Obama

カテゴリー: - kawamura @ 08時36分29秒

Barack Hussein Obamaアメリカ大統領は、
Husseinというミドルネームがもつ意味を
世界に伝えようとしたといいます。

彼は、当選するまでの”one phrase” politicsを捨て、
つまり「Yes, we can. We can change」をいちども使わず、
夢や興奮からすっかり醒めたかのように、
そうしてそれを世界に知らしめようとするかに、
むしろ冷ややかなほど本格的で重厚な名演説をしました。

アメリカ大統領として、
幾多の困難を乗り越えていくために、
浮かれてはいられないのだという決意表明でした。

彼なら、世界を熱狂させる演説をぶつことも可能だろうに、
あえてそれをしなかったという感じです。

こわいほど頭のいい人なんだなあ、と感心しきりです。

リアルタイムで見ていなかったので、
今日はちょっとブログをお休みして、
オバマの演説を堪能したいと思います。

明日は、イスラムの科学についてです。


2009年1月6日(火曜日)

etude9

カテゴリー: - kawamura @ 08時03分32秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第9回

********************

(『絵で見る幕末日本』エメェ・アンベール
 スイス時計業組合会長
 1863年4月〜1864年滞日)

・・・日本のどこの地区でも祭りを行うようになり、
帝国の端から端まで、
英雄的な物語や芸術的な娯楽が、
祖国愛と勇敢さに憧れる気風を培養し、拡大した。

この点、日本の民族的宗教は、成果を上げている。

それは外敵の侵入を一度も許したことがなく、
現在においても、なお、
東西の強国に伍して、
完全な自立を保持している
愛国心の深く浸透した民衆を創り出したのである。

(略)

日本文化は、芸術において、
真似のできぬ独創的な生産を示していた。

(略)

一般に、江戸は、
広範な都市の特典がある上、
市民が街路の往来に際しての秩序をよく守っている。

ヨーロッパの都市では
警察が力を注いでいるにもかかわらず、
このように秩序を保つことは困難である。

(略)

商人街の店に見本として並べられた工業製品が、
どのように多種多様であろうとも、
一貫した特性を示している点がある。

私は、その特性を、
たとえ専門家側の抗議があろうとも恐れることなく、
上品な風格にある、
と断定する。

江戸の製作者は、完全に技術家である。

今日まで、彼らが人物を描く際に、
必須なものであると考えている条件的な様式と
遠景描写の不完全な知識を除けば、
他の部分はほとんど非のうちどころがなく、
ただ絶賛するだけである。

その作品は、京都の作品に比べて、
形式の簡潔さ、線の厳正さ、装飾の適切さ、
自然に対する繊細な理解力において、
特に目立っている。

彼らが好んで取り上げる題材の花や鳥は、
特に生き生きと描かれていて、
その美しさと迫真力と調和には、
心から感嘆するほかはない。

また仕上げの完璧な点については、
江戸の作品も、京都の作品も、
ともに卓絶した段階にある。

********************

(コメントは後刻)


2009年1月5日(月曜日)

etude8

カテゴリー: - kawamura @ 08時04分17秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第8回

********************

(『絵で見る幕末日本』エメェ・アンベール
 スイス時計業組合会長
 1863年4月〜1864年滞日)

私は、よく長崎や横浜の郊外を歩き回って、
農村の人々に招かれ、その庭先に立ち寄って、
庭に咲いている花を見せてもらったことがあった。

そして、
私がそこの花を気に入ったと見ると、
彼らは一番美しいところを切り取って束にし、
私に勧めるのである。

私がその代わりに金を出そうといくら努力しても、
無駄であった。

彼らは金を受け取らなかったばかりか、
私を家族のいる部屋に連れ込んで、
お茶や米で作った饅頭(餅)をご馳走しないかぎり、
私を放免しようとはしなかった。

(略)

私は、半ダースほどの男の子が、
師匠の周囲に坐って、
授業を受けているのを見たことがある。

彼らは文字の意味を知ろうとして、
何度もそれを口に出して唱えていた。

母音と子音には分類していないが、
日本語の音声を四つの節に分けている
アルファベットの一種「イロハ」を
繰り返しているとのことであった。

その数は、四十八であるが、
それを文法的に配列せずに、
小さな詩の形にしているのである。
(略)
この東半球の端において、
われわれと全く同じ不死の創造物である人類の
幾百万という少年たちが、
毎日繰り返している詩に私は興味を感じた。

そして、そこには、
つぎのような意味があることを知り、
驚かされた。

「色も香いも、消えて行く。
 われわれの世界において、
 何か永久的なものがあり得るだろうか?
 今日の日は、
 虚無の深淵の中に消滅していき、
 そのはかなさは、夢のようである。
 それは、
 微細な不安すら残さなかった」

正直なところをいうと、
この民族的なアルファベットは、
最も浩瀚な書物よりも、
より多くの日本人の
基礎的性格に関する真実を私に語った。

********************

1863年というと文久三年ですから、
ちょうど新撰組ができたころのことです。

御林守河村家に常設展示している「枕箱」に、
文久二年の箱書きがありますから、
ちょうどそれを使い始めたころ、
スイスから訪れた民間人が、
幕末の日本の民衆に好感を抱き、
その際立って優れた民族的能力を
高く評価したのです。

もちろん幕府の秘密隠蔽政治を承知の上で、
民衆の才能と活力とをその裏に見たのです。


2009年1月3日(土曜日)

45年

カテゴリー: - kawamura @ 08時35分36秒

12歳のとき、
つまり中学一年のときに出会った友だちですから、
もう45年になるのです。

毎年のように
きまって1月2日の夕方、
おなじ小料理屋で新年会をひらくのです。

メンバーは私をふくめて4人、
もうひとり増えたり減ったりすることはありますが、
よほどのことがないかぎり4人は顔を出します。

昨夜は、
一部上場企業のアメリカ法人副社長が
ひさびさに帰ってきましたから、
アメリカの経済状況についてなど聞きました。

やはり時節柄、
経済のことを中心に話しましたが、
来年還暦を迎える私たちの最後の話題は、
老後をどのようにして暮らしたいか
ということでした。

もういちど大学で学びたい、
妻との旅行を楽しみたい、
などなどの話で盛り上がりました。

自分とはなんなのか、
どこから来てどこへ行くのか、
それだけを知りたい、
と副社長が熱弁をふるっていました。

彼らは
本当に人生をともに送ってきた
かけがえのない友人です。

来年は
赤いちゃんちゃんこを着て集まろう
ということになりました。

毎年、
1月2日の夕方に彼らと出会うと
時の流れを越えてしまったと感じます。


2009年1月2日(金曜日)

エチュード

カテゴリー: - kawamura @ 09時06分31秒

etudeシリーズは
大きなジグソーパズルの
ひとつのピースにすぎません。

いまの興味は
明治維新政府が成立する以前の日本が、
実際にどのような姿をしていたのか、

曇りのない渡来者の目に、
それはどのように映じたのかを
知ることです。

後世の学者研究者の
色眼鏡を通して眺めたものでなく、
まさにその時代に、
リアルタイムで観察した生(なま)の記録を
渉猟しているのです。

できるかぎり多くの記録日記などを読んで、
江戸時代の真実の姿を
私なりに捉えておきたいのです。

そのあと、
維新直後に訪日した欧米人の記録を読み、
さらに明治から大正昭和にかけての訪日記録を
読み比べてみたいのです。

日本の研究者たちが
学閥や大学組織や
学会を支配する歴史観の潮流などに気をつかいながら、
立身出世のために書く論文と違って、
明治政府のプロパガンダからも
かくあるべしという歴史学のドグマからも
無関係な無垢の視点で、
日本国民のありのままの姿を彼らは描写しています。

維新前後の様相の変化を調べたあと、
もうすこし遡って、
戦国期の渡来者の記録を調べようと思っています。

それは、ある大きな目標を達成するためです。

日本のあるべき国の姿を探っているのです。


2009年1月1日(木曜日)

年頭所感

カテゴリー: - kawamura @ 19時09分41秒

除夜の鐘を聞いたあと、
ベランダに立って夜空を見れば、
私の思念の波は北斗のあたりまで波及します。

そのように、
いまの私の思いは、
歴史をさかのぼって、
幕末のあたりまで届いています。

生きているかぎり、
この意識の力は、
時空間を越えて飛翔することができるのです。

それは誰にも制止されることなく、
力のまま駆けめぐることのできる自由。

ひとの根源的な自由の悦びです。

クオリアのこと、
歴史のことを手がかりにして、
この精神の自由を楽しもうと思っています。

その精神の散策が、
毎日200人ほどの読者のみなさまの
楽しみとなれば、幸いに存じます。

今年もまた、よろしくお願い申し上げます。


2008年12月31日(水曜日)

神様参り

カテゴリー: - kawamura @ 07時58分10秒

今日は河村家の境界を守る神々に
お参りをしてくる日です。

お参りの詳細は秘さねばなりませんが、
半ば朽ちた幾つかの祠を、
家族とともに廻るのです。

そのとき言上する
歌とも祝詞ともつかぬふしぎな言葉を、
いつか解き明かしてみようと思っています。

相模河村城の河村秀高以来900年。

相模から遠江に移り住んで500年。

おそらくその間、
延々と語り継がれてきた言葉です。

それでは家族で、
秘儀を執り行ってまいります。

みなさま
どうぞよいお年をお迎え下さい。


2008年12月30日(火曜日)

etude7

カテゴリー: - kawamura @ 08時43分13秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第7回

********************

(『江戸幕末滞在記』エドゥアルド・スエンソン
 ・滞日1866〜1867年・デンマーク人・
 フランス海軍士官・横浜、兵庫、大阪に滞在)

子供たちは楽しそうにはねまわり、
おもしろい遊びに興じて歓声を上げている。

まだ小さいうちは男の子と女の子を見分けるのは
まず不可能、
女の子が少し大きくなって、
娘たちの着物と同じだが
形だけ小さいものを着るようにならないと
区別は難しい。

けれどもみんな黒い目が笑っており、
頬も赤く、白い歯が光っている。

どの子もみんな健康そのもの、
生命力、生きる喜びに輝いており、
魅せられるほどに愛らしく、仔犬と同様、
日本人の成長を
この段階で止められないのが惜しまれる。

(略)

初めてこの場所を訪れる欧米人は、
町の周辺が
とても安心できるような雰囲気ではないために、
ここの警察がしっかりしているのを知って
思わずほっとする。

人ごみはまったくもってはなはだしく、
いまにも騒動が起こるのではないかと
心配になるほどだ。

西洋人の服は派手すぎて人の目につく。

ほとんどわからないからいいようなもの、
汚らしい声で
日本人が何かいってくるのが耳にさわる。

そしてこちらも疑い深い目で
周囲の色黒でずんぐりした連中を観察する。

みんな頬被りをしていて、
見えるのは黒く光るふたつの目だけ、
日本人は
こうして顔を知られないようにするのである。

しかし、西洋人の疑い深さも、
日本にごく短期間滞在するだけで
たちまち霧消してしまう。

これら変装した人々が、
人の好いおとなしい職人たちで、
頬被りの下には
正直で善良な顔を隠しており、
口汚いかけ声も、
辺りの連中を笑わせようと
時々外国人をだしにして発せられる
単なるふざけ半分の気まぐれにすぎないことが、
やがてわかってくるからである。

********************

王政復古直前の動乱期の日本が
フランス海軍士官の目から描かれています。

シリーズでご紹介している幕末の日本探訪記について、
まとめてみましょう。

『幕末日本探訪記』
ロバート・フォーチュン
英国人植物収集家
1860年10月12日〜12月29日、
1861年春〜7月29日滞日

『シュリーマン旅行記 清国・日本』
ハインリッヒ・シュリーマン
事業家として成功し、
後に歴史研究家としてトロイアの遺跡を発掘。
1865年6月1日〜7月4日滞日

『英国外交官の見た幕末維新』
A・B・ミットフォード
英国公使館員
1866〜1869年滞日

『江戸幕末滞在記』
エドゥアルド・スエンソン
フランス海軍士官
1866〜1867年滞日

(つづきは後刻)


2008年12月29日(月曜日)

etude6

カテゴリー: - kawamura @ 07時02分08秒

etude6

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第6回

********************

(『幕末日本探訪記』ロバート・フォーチュン)

〇農民の身分

聞く所によると、
小作人は大地主に取立てられる年貢が重く、
極貧の状態で雇われているという。

私はこれらの説を否定する立場ではないが、
ただ断言できることは、
日本の各地で観察した農民とその家族は、
余裕のありそうな家に住み、
衣服も整っていたし、
食事も十分で、
幸福で満足そうに見えた。

長崎や江戸のような大都市の近傍に住む農民は、
むしろ田舎の武士や地主よりは
富裕かも知れないということは、
ありそうなことだ。

〇未開墾地と時給精算

日本を紹介した外国の著者達はしばしば、
「到る所の山の頂上の1フィートの土地も
 耕してないところはない」と、
繰り返し記載している。

しかし、私がすでに前章で述べたように、
そのようなことはない。

すなわち、数千エーカーもの肥沃な土地が、
未開墾のまま放置されていることや、
あまり価値のない原始林や灌木が繁茂していることを
この目で確かめていた。

ある人は、当然耕作できる土地を、
どうして非生産的な状態に放置しておくのか、
と尋ねるだろう。

それは日本の産物が、
人びとの要求を十分に補給しても
なお余りがあるからにちがいない。

そのようにして何代もの間、
世界の国々との交流を閉ざしていたので、
その間に外国の需要に寄与することもなく、
食料や衣料はまったく自給自足してきたのだろう。

〇豊富な産物

日本には今まで述べて来た産物のほかに、
「見た目もよく美味なもの」が沢山ある。

そのような日本人が偉大な民族として、
国際的に仲間入りしたことは注目に値する。

おそらく世界中で、
日本以外に自給自足できる国は他にないであろう。

日本は自国内に生活必需品や贅沢品の
すべてを供給できるだけのものを十分に持っている。

日本の田畑で、
熱帯と温帯の産物が同じように生産されたものが、
農家の納屋に貯蔵されている。

***************

解説から抜粋します。

「こうした経験を重ねてフォーチュン氏は園芸の範囲を超え、
 日本の文化・社会全般についての意見を持つようになる。

 要約すれば、
 階層上下の差が小さく、
 下層といっても生活・文化のレベルが高い文明国だとの見解である。

『もしも花を愛する国民性が、
 人間の文化生活の高さを照明するものとすれば、
 日本の低い層の人びとは、
 イギリスの同じ階級の人達に較べると、
 ずっと優って見える』

 江戸時代を異国の一同時代人の観点から見れば、
 上下あるいは階層別の文化的差異に満ちた社会だ
 などと簡単に割り切れないことを、
 われわれは教えられるのである」

(つづきは後刻)


2008年12月28日(日曜日)

etude5

カテゴリー: - kawamura @ 08時34分57秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第5回

****************

(幕末日本探訪記より)

〇進取的な国民性

ハリス氏は日本の馬に蹄鉄を打つことに関連して、
おもしろい事情を話された。

それは日本の人びとが自国の進歩に有用なことが判ると、
外国の方式を敏速に採り入れるという例証であった。

私はすでにこの模倣について、
日本人とシナ人との間に存在する、
いちじるしい相違の原因を述べたことがある。

シナでは「古い慣習」が、
あらゆる外国品輸入の防壁となるが、
日本人は先進文明を示されると、機敏に採用する。

ハリス氏がはじめて江戸に駐在した時、
彼の馬は仕来りの蹄鉄が打ってあった。

それまで日本の馬は、わらじをつけるか、
何もつけなかったか、どちらかであった。

ある日、ひとりの役人がハリス氏の所に来て、
彼の馬の借用を頼んだが、
その馬を必要とする目的については、
十分質問もしなかった。

この変わった願いは聞き届けられて、
しばらくしてから、当然のことながら馬を返して来た。

数日後、馬を借りに来た役人がアメリカ公使館に来て、
重大な機密として、ハリス氏に語ったところによると、
大老(井伊掃部頭)がハリス氏の馬の蹄鉄を調べるために、
使者を派遣したという。

その後は大老の馬も同じ様式で蹄鉄を打ち、
他の役人の馬も同様に蹄鉄をつけたそうだ。

****************

本日、体調不良(〇日酔い)のため
コメントなしと致します。


2008年12月27日(土曜日)

etude4

カテゴリー: - kawamura @ 07時05分23秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第4回

********************

(幕末日本探訪記より)

〇印象的な並木道

私は他のどこの国を回遊しても、
そのとき通り過ぎた印象的な小道に出会ったことはない。

その時ふと、
イギリスの田舎町のどこかで見たような気がした。

しかし、私は、
イギリスには日本の風景に比較できるものは、
何もないことをすでに認めているにもかかわらず、
その美しい小道が、
母国の景色に似ている、と思ったほど、
気に入っていた。

大きな並木道や、松、
とくにスギの並木道にしばしば出会ったが、
道ばたに大変快い日陰をつくっている。

ときどき種々の種類の常緑のカシや、
時にはスギやほかの常緑樹でつくられた
見事な生垣に注目した。

生垣は丁寧に刈り込まれて、手入れがゆきとどき、
時にはかなりの高さに整枝されて、
イギリスの貴族の庭園や公園でよく見かける、
ヒイラギやイチイの高い生垣を思い出させる。

どこにもある小屋や農家は、
きちんとこざっぱりした様子で、
そのような風景は、
東洋の他の国ではどこにも見あたらなかった。

旅人の休む茶店の傍らを何度も通ったが、
その裏にささやかな庭や養魚池があったのを、
馬でゆっくり通りすがりに、チラと眼に入れた。

景色はしじゅう変化するが、
いつも美しい丘、谷間、広い道、日陰のある小道、
そして家々や庭などで見かける人びとは勤勉で、
労苦にくじけず、あきらかに現状に甘んじて満足している。

ざっとこれが、江戸近傍の田園風景の外観である。

〇英国公使館の火事・消防隊の組織

今度の場合、すべての配備が、
じつに見事に処理されたように思われた。

公使館の周囲の門は即刻閉鎖され、
武装した役人が警備した。

消防隊員や実務を執行する人達は
入門を許されたが、
それ以外の者は厳重に拒絶された。

門内はあっという間に、
装備した人達でいっぱいになり、
数百人もの人が四方に、
庭や室内や廊下、
そして出火現場から離れた
建物の屋上に登ったりして駈けまわっていた。

しかも、見張りの目が彼らにしじゅう注がれていたので、
品物は何一つ盗まれなかった。

公使のテーブルは板張りで、客間には、
内外のおびただしい興味のある貴重な品々が置かれていた。

それらのものは人を誘惑したかも知れないが、
何一つ紛失したものはなかった。

私はこのような、十分に習練を積んだ団体の組織を
全く見たことがない。

シナでは、
略奪の機会をねらっている暴徒を制することは、
非常に困難な問題である。

しかし、江戸ではすべての人々は、
十分な支配を受けているので、全く安心という話だ。

********************

『幕末日本探訪記』を書いたロバート・フォーチュンは英国人で、
日本の植物や博物標本、美術品などを収集する目的で、
1860年10月に日本に到着し、1年あまり滞在しました。

彼は再来日したシーボルトや、若きポンペにも長崎で出会っています。

二人は、西洋医学を日本につたえた者として高名です。

フォーチュンの見た幕末の日本は、
産業革命とは無縁であるけれども、
高度に完成された異質の文明として
新鮮な驚きを彼にあたえたようです。

幕末の渡来者の手記からは、
我らが学校で教え込まれた
「武士に虐げられた百姓町民」の姿は、
どこにも見あたりません。

むしろ、フォーチュンの言葉を借りれば
「人びとは勤勉で、
 労苦にくじけず、
 あきらかに現状に甘んじて満足している」のです。

我らの教えられた歴史は、何だったのでしょう。

(つづきは後刻)


2008年12月26日(金曜日)

etude3

カテゴリー: - kawamura @ 07時42分36秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第3回

********************

(シュリーマン旅行記より)

家族全員が、そのまわりに正座する。

めいめい椀を手に取り、
二本の箸でご飯と魚をその小さな椀に盛り付けて、
器用に箸を使って、
われわれの銀のフォークやナイフ、
スプーンではとても真似のできないほどすばやく、
しかも優雅に食べる。

(略)

寺は木造で、屋根は茅で1メートルの厚さに葺かれ、
田舎にある日本の寺がそうであるように、
屋根の棟にそって百合の花が植えられている。

境内に足を踏み入れるや、
私はそこに漲るこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。

大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、
きわめて不潔で、
しかも退廃的だったから、
嫌悪感しか感じなかったものだが、
日本の寺々は、
鄙びたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、
秩序が息づき、
懇ろな手入れの跡も窺われ、
聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。

(略)

どの窓も清潔で、桟には埃ひとつない。

障子は裂れ目のない白紙が皺一つなく張られている。

僧侶たちはといえば、
老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、
無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは
好対照をなしている。

************

欧風の奢侈になれて久しい我らは、
簡素の粋美なることをすでに亡失しました。

私は懐古趣味ではありません。

失われた過去をただ哀惜する者ではありませんが、
良き精神は甦らせるべきです。

簡素ではあるが気高い精神を、
今こそ必要としているように思うのです。

幕末の日本を訪れたシュリーマンの目には、
アヘン戦争に敗れ、
列強の簒奪に身をまかせるままの清と、
独立国の矜持を保ちつづける日本との差異が、
寺の様相からも洞察されたのです。

(つづきは後刻)


2008年12月25日(木曜日)

etude2

カテゴリー: - kawamura @ 07時02分41秒

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載第2回

********************

(リーズデイル卿回想録より)

天子様の宮殿は、
「東洋的な華麗さ」という言葉がよく使われるように、
外観を派手に飾り立てることの好きな普通の東洋の有力者と違って、
気高く簡素な造りが特徴である。

とくに防備は施されていなかったが、
灰色の瓦をのせた白塗りの壁で取り囲まれていた。

そこには九つの門があり、
前述したように、
ある大名の軍隊がそれぞれ警備の任に当たっていた。

それは不自然なほど簡素であったが、
御所はそれ自体がもつある威厳を備えていた。

場所の節約は常に見すぼらしい結果を生むものだが、
ここではそれが全くなかった。

中庭は広々として美しい白砂が細心の注意をもって
整然と敷き詰めてあった。

建物は普通の形だったが、
全く飾りがなく、
大きく広々として威厳に満ち、
それが大きい特徴になっていた。

********************
それをなんと表現したらよいのでしょう。

空虚でも空白でも空でも無でもない。

光に充ちた空間、
明るい原初の力にみちた空間。

清き明き直き心、
その清明心を、
幕末から明治初年のわずか4年間滞日しただけの英国外交官が、
御所に参内するやたちまち感得しえたということに
驚かされます。

三性論でいえば依他起の目に、
つまり先入観のない英国人の目にこそ、
その間素さの生むア・プリオリの荘厳が見えたのでしょうか。

それは宇宙の真理がE=mc^2と表されるようなsimpleな荘厳。

初期万葉を思い出します。

万葉集の底にながれる清明心は、
あかるい喜びにみちた力を我らにつたえてくれます。

若きリ−ズデイル卿は、
たまゆらかいま見た御所の簡素な美に
それを感得したのです。


2008年12月24日(水曜日)

etude1

カテゴリー: - kawamura @ 07時35分06秒

ホントは「○○○○○○○のためのエチュード」

今日から連載いたします。

********************

(リーズデイル卿回想録より)

徳川慶喜が、
切腹は野蛮な風習で時代遅れだと言ったのは
誤りである。

現在に至るまで、
それは節操と名誉を守る手段である。

私が昔よく知っていた西郷大将の
1877年の反乱における死に方をよくみるがよい。

また、旅順港の英雄で、
私の古い友人であった乃木将軍が
2年前の1913年に自殺した時のことを
よく見て欲しい。

彼は敬愛する主君天皇睦仁の死を深く悲しみ、
天皇の後を追って死を選び、
忠実な夫人も彼とともに死んだのである。

****************

私は切腹を賛美するものではありません。

決してそうではありませんが、
幕末から明治初年まで日本に滞在した英国外交官が、
切腹を忌むべき蛮習とせず、
理解を示したことにおどろかされるのです。

幕末の争乱は、
征夷大将軍である徳川慶喜をして、
切腹は時代遅れの野蛮な風習である、
と言わしめたのに、
わずか4年間滞日しただけの英国人が
切腹を理解するかのようにみえるのは、
そこに世界共通の武人の誇りを見たからでしょうか。

キリスト教では、自殺はもっとも禁忌であるというのに。

今の私たちがすっかり忘れてしまったこと、
それは、
命よりも尊いものがあるということを
彼らは知っていたのかもしれません。

(つづく)


2008年12月23日(火曜日)

雑感(1)

カテゴリー: - kawamura @ 09時33分30秒

日本の民主主義は
その形態を変えたほうがいいと思いませんか?

長い間、お上の命令にしたがってきた私たちには、
選挙で議員を選べと言われても
どのように考えて
誰を選べばいいのか
ピンとこないと言うことかもしれません。

たとえば参議院は有効に機能しているのか?

議員数はこんなに多く必要なのか?

なぜ私たちは、横山ノックを大阪府知事に
選んだりするのか?

そういう基本的なことを
もう一度考えてみませんか?

もちろん自由主義のなかでのことです。

資本主義経済はなんだか怪しいことのなってきましたが、
それでも、
私たちが長い歴史の果てにつかんだ、自由と平等は、
手放してはなりません。

(今日はここまで)


2008年12月22日(月曜日)

冬期講習

カテゴリー: - kawamura @ 06時16分56秒

これから1週間、冬期講習です。

ブログを書く時間が、わずかしかありません。

朝目覚めてから、布団のなかで考えたことを、
朝食の仕度をしている妻と話しながら、
20分前後で書き終えるというのが
いつものスタイルです。

シリーズものは一旦中断させていただいて、
日々の雑感を書きとめることにいたします。

ところで、
GMとクライスラーに公的資金が投入され、
日銀が0.1まで公定歩合を下げました。

世界が足並みをそろえて対処すれば、
1929年のような恐慌は
避けられるのかもしれません。

それでも、
景気は再来年に底を打ち、
回復のきざしが見えるのは
5年後くらいでしょうか。

このような時期にこそ、
日本人らしい毅然たるふるまいをしましょう。

トロイの発見で有名なシュリーマンが、
幕末の日本を訪れ、手記をのこしています。

「(お金を渡して税関の検査を免除してもらおうとしたところ)これを拒んだ。
 日本男児たるもの、
 心付けにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。

 …日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない。
 どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、
 町のいたるところにある公衆浴場に通っている。

 …工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる
最高の完成度に達している。
教育はヨーロッパの文明国家以上に行き渡っている。
男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」

これから苦難の季節が訪れようとも、
私たち日本人は誇りをもって
これを乗り越えましょう。

たとえ景気が低迷し、
失業者がちまたにあふれて、
世情不安に陥ろうとも、
私たちは希望をもって、乗り越えましょう。

朝の来ない夜はないのですから。


2008年12月21日(日曜日)

党首会談(15)

カテゴリー: - kawamura @ 09時07分11秒

バスチーユ攻略が1789年8月14日ですから
その翌年の七月、全国連盟祭がパリで開かれます。

ミシュレの『フランス革命史』から引用します。

「パリの市長、市役所は、
 他の町々の先例と懇請にうながされて、
 議会に全国連盟祭の開催を願いでざるをえなかった。
 議会は、好むと好まざるとにかかわらず、
 許可をあたえざるをえなかった。
 (中略)
 村々を通っていくこれらの集団をみると、
 人々は感動せずにはいられなかった。
 (中略)
 そして、村々、町々を彼らが通るとき、
 彼らは明るく勇壮に、力をこめて歌をうたった。
 住民たちは、戸口に立ってその歌に唱和した。
 (中略)
 ああ、いいじゃないか!いいじゃないか!いいじゃないか!
 万事は立法者によって成しとげられ、
 頭を高くするやつは押さえつけられ、
 頭を低くするやつはもちあげられ、等々」

なんだか、
どこかで聞いたことのあるような歌です。
(もちろん、慶応3年の、ええじゃないか。
 時代の高揚感は、
 世界共通の言葉になるんですねっ!)

しかしフランス革命は
まだ成就されたわけではありません。

国王王妃は健在です。

でも、私はフランス革命について
論じようとしているのではありません。

このように、
通行が自由であったフランスの支配体制と、
同時期の江戸時代とを比較してみたいのです。

日本全国が諸藩にわけられ、
それぞれがあたかも独立国のようにふるまっていた
江戸期日本の事情とは、
ずいぶん違うようにみえるからです。

村人がお伊勢参りをするのにさえ、
名主のあたえた通行手形をもっていなければ
関所を通ることができません。

幕藩体制はじつに巧妙精緻にできていましたから、
長享二年(1488)の加賀の一向一揆のように
一世紀にわたって一国を支配するというようなことは
起こり得ようがありませんでした。

江戸時代には、
全国で約三千二百件(「国史大事典」)ほどの一揆がおこりましたが、
フランス革命のように、
ひとつの騒乱が全国に及ぶということはありませんでした。

それでは江戸時代の百姓町民が
自由に行き来できなかったのかというと、
そうでもありません。

これは定かな記憶ではありませんが、
博多の商家の奥さまたちが、
京大阪へ旅した記録がのこされていて、
旅先で路銀がとぼしくなると旅為替で調達し、
おみやげをたくさん買うと
現在の宅急便のようなシステムで
それを自宅へ送ったというのです。

(ずいぶん昔の講演の記憶ですから、
 まちがいがあるのかもしれません)

江戸時代という完成された体制のもとでは、
分割統治された国民のなかから革命思想がうまれて
全国に波及することなど
あり得ようもなかったのです。

(つづき)


2008年12月20日(土曜日)

党首会談(14)

カテゴリー: - kawamura @ 06時51分47秒

脳科学者の茂木健一郎先生が
拙著『蒼天のクオリア』の序文のなかで、
クオリアについての私の思いを、
このように表現していらっしゃいます。

「どれほど切実な思索の軌跡が隠されているかということを、
 私はやがて知ることになった」

このように、
私にとってクオリアについて考えることは
ほとんど生きることと等価であり、
胸のうちからわき出る生(なま)の言葉で
語るほかなかったのです。

(ちなみに、クオリア、という言葉は
 茂木先生の『脳とクオリア』を拝読して
 はじめて知りました)

私はクオリアについても歴史についても
専門家ではなく、
それでも
どうしてもその秘密を手にしたいという思いだけを頼りに、
ひとつひとつ言葉を確かめながら、
牛のように鈍重な思索を積みかさねてゆくのです。

麻生と小沢の党首会談を見て、
日本の政治はなぜこのように貧しいのか、
才気あふれる各国の首脳と比較すれば
児戯に等しい彼らのふるまいを見るにつけ、
絶望を深くしたのです。

私には生かじりの歴史の知識しかありません。

しかしそれでも、
この国家の危急存亡のときに、
日本になぜ民主主義が根づかないのか、
その秘密を掴んだうえで
発言をしようと思っているのです。

さて、昨日のつづきです。

もちろん市民革命と平行して、
西欧に澎湃としておこった産業革命について
語る必要があります。

ジェームズ・ワット以前にも
さまざまな発明はあるのですが、
ワットの蒸気機関こそが
時代を画したといってもいいでしょう。

水力を利用した紡織機などがあったにせよ、
それらは川縁に建造するほかなく、
前時代的な工業にすぎませんでした。

ひとつの発明が、あらたな時代を拓くことがあるのです。

原子力のように、
核エネルギーを発見する前と後とでは、
明らかに世界の様相が転じます。

核弾頭が、
世界の政治軍事情勢を一変させたことを見てもそれは明らかです。

ワットの蒸気機関は、
イギリスを世界の工場に変え、
やがては欧州の産業構造も、
さらには社会構造さえ変えてゆきます。

労働者階級、中産階級、地主貴族階級などが
発生します。

昨日考えたように、
貧富の階級間格差がひろがるほど、
市民革命のエネルギーは蓄積されてゆきます。

18世紀後期に起きた産業革命は、
その格差を決定的なものにしたのです。

西欧における市民革命の必然性は、
そこにもありました。

昨日も申しましたように、
18世紀後期といえば、
文化財河村家住宅が建てられたのが寛政五年、
1792年ですから、
当時の古文書類をながめても、
江戸時代の日本では産業革命など知るよしもなく、
幕府のやわらかな統治のなかで、
市民革命などからはほど遠い
おだやかな暮らしを送っていたのです。

(つづく)


2008年12月19日(金曜日)

党首会談(13)

カテゴリー: - kawamura @ 08時33分08秒

明治以降の有権者数の変遷を列記してみましょう。

(%は全人口に占める有権者の割合です)

1889年(明治22年)男子25歳以上、直接国税15円以上、 1.1%
1900年(明治33年)男子25歳以上、直接国税10円以上、 2.2%
1919年(大正 8年)男子25歳以上、直接国税 3円以上、 4.6%
1925年(昭和 3年)男子25歳以上、普通選挙、     20.0%
1945年(昭和20年)男女20歳以上、普通選挙、  51.2%

昭和3年の普通選挙は、
たしかに有権者の数を4倍に増やしたのですが、
吉野でさえ、
はじめは「主権在民」を危険思想としたのですから、
それは民主主義というにはほど遠い時代の選挙でした。

というのは、プロイセンの君主主権に倣って、
天皇を主権とする大日本帝国憲法下での選挙でしたから。

しかしこれほど高度な文明を築いた日本に、
なぜ市民革命は起こらなかったのでしょうか。

それを解くために、
日本史をざっと振り返ってみたのでした。

古代の朝廷を中心とした律令制が、
やがて崩れて荘園制となり、
開墾地主である武士が反乱を起こして
鎌倉幕府が成立しました。

鎌倉、室町と武家の政権がつづき、
応仁の乱を端緒とする戦国時代が幕を開けます。

それまでつづいていた門閥政治は、
戦国の最後に登場する信長、秀吉、家康によって
終わりを告げます。

長い江戸時代の封建制が緩みにゆるんで、
ついに、ペリー来航を契機に、
外様大名と下級武士の反乱が朝廷を巻き込んで、
明治維新を迎えます。

明治から昭和20年まで、
プロイセンを手本とした立憲君主政治がつづき、
上記のように、
民権思想も高まりを見せたかにみえましたが、
それはしょせんまね事にすぎませんでした。

フランス革命のように、
民衆が蜂起して、鎌や、鍬や、猟銃を手にして、
国王王妃貴族たちの首をつぎつぎにギロチンにかけ、
流血の代償として勝ち得た権利ではありません。

日本にとっての民主主義は、
やはり、
マッカーサーの突然の贈り物と言っていいのでしょう。

このようにしてみると、
日本には
市民革命が起きる契機がなかったように思うのです。

フランス革命が起きた1789年といえば、
ちょうど文化財河村家住宅が建てられたころ(1792年)ですから、
日本の江戸時代はたいへん安定していたといって
いいでしょう。

マルクスは、
日本の江戸時代において純粋封建制度が見られる、
としていますが、どうでしょうか。

ベルサイユ宮殿やバッキンガム宮殿をみると、
その富の集積度が、
日本の将軍家などとは比較にならないことが分かります。

欧州は石の文化で、しかも地震も少なく、
富は限りなく集積されていきます。

日本の建築は木と紙でできていますし、
高温多湿で季節の変動も激しく、火事も多く、
なんといっても地震の多発国です。

一般的な建築物は、
長くもっても100年でしょう。

法隆寺など特異な例を除けば、
20年ごとに式年遷宮が行われる伊勢神宮のように、
日本の建築は短期間での建て替えを要します。

建て替えるごとに散財するのですから、
封建領主といえども蓄財に限りがあります。

つまり日本では、
支配者と民衆のあいだの貧富の差が、
欧州ほど極端ではなかったから、
市民革命を誘発するほどの支配者への憤懣が
鬱積しなかったと言えるのかもしれません。

ましてや江戸後期の武士は、
商人の富に憧れたほどです。

江戸時代の農民も、
おどろくほど自由闊達に暮らしていたことが、
近頃の研究で明らかになりました。

封建制度といっても、
江戸後期になると
階級間での流動性も見られるようになって、
貧富の格差もしだいに解消されてゆきました。

(もちろん安藤昌益の八戸などのような
 例外はありますけれど)

こうしてみると、
日本の支配者には、
鼓腹撃壌のたとえのごとく、
民衆にそれと気づかせないような
たくみな統治を継承していたかの観があります。

上に戴くものを、
畏怖しあるいは敬愛するよりも、
むしろ空気のように感じさせない政治を
良しとする統治手法。

これを民衆の立場から見れば、
日々の暮らしにさえ不満がなければ、
統治者に期待しない風潮。

それは今朝食べるパンもなく、
酷税にあえいで、ついに蜂起したパリ市民の
対極にいるものです。

このように、
日本では、
秀吉のように鮮明な個人の誕生する素地もあり、
江戸時代には封建制度も爛熟していたのですが、
風土や歴史もあいまって、
日本固有のやわらかい統治形態ゆえに、
市民の不安や不満も少なく、
ついに市民蜂起の機を逸したのでしょうか。

もうひとつの理由は、天皇と幕府という、
二重の統治形態によるのかもしれません。

(つづく)


2008年12月18日(木曜日)

ホンダの涙

カテゴリー: - kawamura @ 07時03分45秒

ホンダを泣かせてどうするのですか!

1700億の赤字を公表する福井威夫社長の目に、
涙がうかんでいたのをだれもが見たでしょう。

これはホンダの失策ですか?

名だたる輸出企業が
またたく間に赤字転落してゆくのは、
トヨタの、ホンダの経営失策だとでもいうのですか?

1ドル87円の円高を、
放置しているのは誰ですか?

選挙で生き残ることだけを考えて、
血を吐く国民を放置しているのは誰ですか!

トヨタは、
1円の円高で400億円の損失です。

ホンダもほぼおなじでしょう。

4か月前の8月に、
110円だった円は、現在87円。

20円の円高は、8000億の損失となるのです。

これは、激甚災害です。

アメリカを震源とする、
マグニチュード10とでもいうような
世界規模の大地震に見まわれたのです。

何度も申しあげますが、
災害対策が政府の責任であるように、
為替政策は政府の責任です。

その証拠に、
アメリカがゼロ金利にした途端に
円が急騰しているでしょう。

為替は国力をそのまま反映するものではありません。

政府が強い方針を示すことで、為替は変動するのです。

私は、阪神大震災を思い出します。

あの朝、
世界都市神戸が炎上してゆくのを、
閣僚たちは永田町のテレビで見ながら
談笑していたのです。

K議員はどこかのパーティ−に招かれて、
グラスをかたむけながら
震災のニュースを聞いていたといいます。

瓦礫にはさまれ、
刻一刻ちかづいてくる炎を、
呆然として見つめながら我が身の肌を、髪を、
じりじりと焼いて死んでいった多くの市民の無念を、
私は思うのです。

あのとき、
国家防災担当大臣とかいう間の抜けた大臣の顔が
テレビに大写しになって、
彼はこう言い放ちました。

「国民のみなさん、私はどうしたらいいのでしょう?
 智慧のある方はぜひおしえて下さい」

この男は、
私たちが選んだ大臣なのだ、
私たちが選挙で一票を投じた議員のひとりなのだ。

激甚災害、
それは最も強力な
政治のリーダーシップが求められるときです。

あふれていた涙が
すっとひいてしまうほどの衝撃でした。

これが日本国の、大臣なのか。

現在の政府もまったく同じです。

いや、もっと悪いのかもしれない。

政治が機能していないからです。

おろかな三流政治家たちが、
選挙に勝ちたいとそればかり考えているうちに、
日本は焦土と化します。

自民にせよ民主にせよ
やがて来る選挙でどちらかが勝利の美酒に酔いしれて、
亡国の議員たちが、ふとあたりを見まわしたとき、
そこには
震災直後の神戸の街に似た日本が広がっているのです。


2008年12月17日(水曜日)

愛にゃん3

カテゴリー: - kawamura @ 06時45分31秒

ふたり目の私の愛にゃん

オスのしろねこくんより、生粋のハンター

鳥やトカゲやモグラまで、
小動物を狩ってきます。

でも、獲物たちが成仏できるように、
かわりに私が
まいにち冑佛(かぶとぼとけ)に手をあわせているのです・・

しろねこくんは人なつっこいのに、
この子は飄々としていて、ひとに媚びません。

ネコらしく、
撫でてほしいときだけ甘えてきます。

しろねこよりからだは小さいのに
おねえさん気分で、
いつもしろねこより高いところで眠ります。

ふたりのねこに、私たちは癒やされています。


2008年12月16日(火曜日)

党首会談(12)

カテゴリー: - kawamura @ 08時22分53秒

(朝の霜)

麻生と小沢の党首会談に絶望して、
日本人はなぜオバマを選べないのか、
有能な人材を政治家としてえらぶ風潮が
なぜ日本に育たなかったのか、
それを歴史から探りあてようとしたのでした。

明治維新から半世紀、
日清日露の戦勝のあと、
国際連盟設立当初の常任理事国四カ国のひとつとして
大日本帝国が選ばれ、
その事務局次長には、『武士道』の著者として
国際的に著名な新渡戸稲造が選任されました。

しかし日露戦争の勝利からおよそ半世紀間、
統帥権の御旗を掲げた軍部が暴走し、
やがて昭和20年8月の敗戦にいたったのでした。

私の誕生日は昭和26年3月ですから、
マッカーサー占領下の日本で
生まれたことになります。

民主主義が持ちこまれ、
財閥解体、農地解放などが断行されました。

明治維新から80年後に、
米国の手で大日本帝国の解体が行われたのです。

占領軍の日本解体政策に、
五摂家筆頭の公爵
近衛文麿国務大臣が身命を賭してそれに抗し、
それを白洲次郎が補佐したことは世に知られるところです。

戦いは熾烈を極め、近衛は自決します。

敗戦はしたものの、
最後の侍たちがGHQと戦い、
散っていったことを
我らは忘れるべきではないでしょう。

いずれにせよ、
日本人を地上から抹殺するためのジェノサイド、
東京大空襲や
原子爆弾の投下などによって焦土と化した日本で、
GHQの主に作成した日本国憲法を戴き、
国民はあらたな出発をむかえることになりました。

華族も士族も地主階級もすべてこの世から消えて、
天皇家は象徴となり、
国民は完全に平等となって、
民主政治とその選挙権が
突然の贈り物のように国民の手にもたらされたのです。

(つづく)


2008年12月15日(月曜日)

党首会談(11)

カテゴリー: - kawamura @ 08時53分49秒

(朝陽にかがやく梅の木)
明治後期から太平洋戦争の終戦まで
世界と日本は戦争の半世紀をおくりました。

ざっとならべてみましょう。

1894年(明治27年):日清戦争
1904年(明治37年):日露戦争
1914年(大正3年):第一次世界大戦参戦
1923年(大正12年):関東大震災
1929年(昭和4年):世界恐慌
1931年(昭和6年):満州事変
1932年(昭和7年):五・一五事件
1936年(昭和11年):二・二六事件
1937年(昭和12年):日中戦争始まる
1939年(昭和14年):第二次世界大戦始まる
1941年(昭和16年):真珠湾攻撃
1945年(昭和20年):敗戦

明治維新では急を要していましたから、
かたちばかりとはいえ古代律令制をまねて、
すこし無理のある立憲君主制を敷きました。

その大日本帝国憲法のひとつの瑕疵、
それは「第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」
という一箇条でしたが、
日清日露の戦勝から半世紀間、
それが世界と日本国民を巻き込んで暴走するのです。

この一条によって、
軍部は天皇に直結し、
それゆえ軍部の命令は天皇の命令となったのです。

上官の命令は天皇の命令と心得るべし、
ということです。

折しもそのさなかに関東大震災や世界恐慌が起こり、
世情不安は軍部の暴発をさそいました。

満州へ繰り出し、真珠湾を攻撃し、
やがて敗戦をむかえました。

このあたりは説明を要しないでしょう。

つまり、徳川の幕藩体制から天皇の立憲君主制へ、
みごとに移行したかに見えた明治維新の体制も、
半世紀のあいだには制度疲労をおこし
崩壊したということです。

日清日露のころの軍部と、
太平洋戦争末期の軍部とでは
何がちがっていたのでしょう。

高度経済成長期の官僚と、
バブル崩壊後の官僚とでは
何がちがうというのでしょう。

(つづく)


2008年12月14日(日曜日)

党首会談(10)

カテゴリー: - kawamura @ 07時31分20秒

タイトルと内容が
ずいぶんかけ離れたものになってしまいました。

麻生と小沢の党首会談を見た絶望から、
そのような政治家を選びつづけてきた
私たちにとって、
民主主義とはなんだったのかを
歴史から考え直しているのでした。

前回は個の発生というところまででした。

世界史上
日本と西欧においてのみ発生した封建制度は、
やがてその成熟とともに複雑な支配線を生み、
支配線の交差点に立つ個人に、
あざやかな個性を誕生させたと考えたのでした。
(拙稿『紋章と封建制度』)

つぎに、
個の発生にかかわるもうひとつの大きな要素は、
経済の進展です。

封建制度が安定して産業が成熟すると、
余剰生産物の売買などによって貨幣経済が発達し、
そこに金銭の貸借関係が生まれます。

私の家にも、
江戸時代に土地を担保にして借金をしたときの証文が
多く残されています。

証文が手もとに戻っているということは
借金を返済したということですけれど(笑)、
それにしても江戸時代には山村でも金銭の貸借が
さかんにおこなわれていたことがわかります。

金銭は個人に貸すものですから、
それを取り立てるときも個人からです。

つまり、
明確な個の発生がそこに見られるというわけです。

また、経済の進展は合理主義精神を生み、
非合理な門閥制度などを否定する原動力となります。

一定の質の米であれば、
その価格は体積だけで決まります。

経済原理は不明確な要素を排除するものです。

したがって経済の分野では、
門閥家格にとらわれぬ真に才能のあるものだけが
頭角をあらわします。

門閥や封建制度が
貨幣経済の進展とともに崩壊してゆくのは
それゆえです。

貨幣経済の発達によって、
さらに才能ある個人が登場してきたのです。

このようにして
11〜12世紀に日本と西欧において誕生した封建制度は、
支配線の交差点に立つ武士(騎士)などに個の精神を育み、
やがて成熟した産業社会を基盤にして貨幣経済が発達すると
さらに鮮やかな個性をもつ個人が誕生したというわけです。

信長、秀吉、家康などの屹立する個性は
このようにして誕生したのでした。

また、
明治維新において、
世界から奇跡と呼ばれる発展を遂げられたのは、

マルクスが『資本論』の中で
「日本は、その土地所有の純粋封建的な組織と、
 その発達した小農民経営とをもって、
 多くはブルジョア的偏見によって書かれた、
 我々のすべての歴史書よりも、
 はるかに忠実なヨーロッパ中世の像を示す」

と書いているように、
世界史的な見地からみても完成した江戸時代封建制度と、
さらには江戸中期から爆発的に進展した貨幣経済によって、
西欧近代思想を受けいれ得る充分な素地が
江戸時代においてすでに完成されていたからでした。

(さらに言えば、
 西欧思想をはるかに凌駕する
 いくつもの合理主義精神が誕生していたのですが、
 それについてはまた後日別稿で)

個の発生という観点からしても、
日本は他のアジア諸国は言うに及ばず、
世界的にも稀有な発達をとげた国でした。

(つづく)


2008年12月13日(土曜日)

金融危機(7)

カテゴリー: - kawamura @ 07時49分03秒

危機が新たな段階にはいりました。

GMの破綻です。

救済法案が上院で否決され
GMの破綻が現実化してきたのです。

リーマンのときもそうでしたが、
アメリカの傍若無人ぶりも
ここに極まれりという感じです。

アメリカの産みだした
金融工学という魔術にまどわされて、
世界が塗炭の苦しみを嘗めさせられているときに、
アメリカ国民は平然として、
リーマンを潰し、GMを潰すのです。

アイスランド国家を破産させてもです。

しかし、
GM破綻のもつ破壊力はリ−マンショックの比ではありません。

世界の産業界に、
壊滅的な打撃をあたえるでしょう。

リーマンショックだけでさえ
それを乗りこえるめに、
いま、日本企業がどれほどの犠牲を
払いつづけているのか。

それに追い打ちをかけるように、
GM、クライスラー、
それにひきずられるようにしてフォードまでも破綻すれば、
どのようなことになるのか、
想像すらつかないほどの
地獄が待ちうけているのでしょう。

トヨタ、ソニー、日産、キャノン、ホンダ、シャープなどが、
現在とは桁ちがいのリストラをはじめるでしょう。

それはこれから来るのです。

来年の春あたりからでしょうか。

アメリカはいままで、
その国力と軍事力にものを言わせて、
ドルの輪転機をフル回転させ、
世界中からものを買いつづけてきました。

アメリカ国民は
あたかも中毒患者のように消費しつづけています。

金本位制をはなれて久しいドルが、
すぐにも紙くずになることはないにせよ、
いずれ遠からぬ将来に
ドルは基軸通貨の座を明けわたすことになるでしょう。

先進各国の中央銀行に、
ドルは山のように積み上げられています。

それを紙くずにするわけにはいきませんから、
利下げしたり輪転機を回したりして、
ドルの急落を回避すべく
各国政府は為替のバランスをとろうと必死でした。

しかし
GMの破綻はすべてを洪水のように
押し流してしまうでしょう。

私は思うのです。

若く無知なアメリカ国民は、
それと知らぬうちに
ノアの洪水を待ち望んでいるかのではないのかと。

既存の産業界を破壊し、
洗いながしてしまう世界規模の洪水を。

オバマを選んだように、
人種や貧富によって差別されるこの世界を
根底から変えようとしているのではないのかと。

洪水のあと、
アメリカはそれでも再生するかもしれません。

広大で肥沃な国土をもち、
カントリージェントルマンの良識に守られたアメリカが、
復活するのかもしれません。

フランスなどの農業大国も、それでよいのかもしれません。

日本はどうなるのでしょう。

食品の賞味期限を緩和するように
政府があわてはじめました。

円高のいまは
まだ毒入りとはいえ食糧を買う余裕はあります。

これが長期化すれば、
良質の美田をすべて埋め立て、
農業を山間地に追いやってしまった日本に
生きる道は残されているのでしょうか。

主にアメリカ向けの輸出産業に特化してきた日本は、
アメリカが凋落し世界の消費が急激に落ちこむ翌年から、
坂道をころげ落ちてゆくでしょう。

洪水のあいだ、
世界の市民が自己防衛をはじめ
消費しなくなれば、
高機能製品を輸出する日本の産業は
破滅的な様相を呈するでしょう。

日本の基幹産業が崩壊し、国力がおとろえれば、
円安となって
ふたたび輸出産業が息を吹き返すかもしれません。

それまで、
繁栄期にためた富を
すこしずつはき出して生き延びるほかありません。

いつまでそれがつづけられるのでしょうか。

もうひとつの問題は、
歴史がくり返し教えるように、
国際情勢が不安定になったときの軍事バランスの問題です。

自衛隊は張り子の虎で、
日本には軍隊がありませんから。

しかもブッシュの共和党は死に体で、
現在のアメリカはあてになりません。

オバマに政権が委譲されるまでのわずかな間隙を突いて
なにかがおこらなければよいのですが。


2008年12月12日(金曜日)

愛にゃん2

カテゴリー: - kawamura @ 07時44分28秒

お日さまはやく〜出ておいで〜

空中浮遊してまってる〜

ぼくのほうが
高くまで浮かべるぞ〜

子猫のころの愛にゃんたちです。


2008年11月19日(水曜日)

黒の鐘

カテゴリー: - kawamura @ 09時08分17秒

暗い時代の始まりをつげるような
不安な事件が起きました。

後世、
あれがあの時代の始まりだったのだ
と語り継がれるような
不気味さを秘めている事件です。

元事務次官への連続テロのことです。

人の命を奪うことは
たとえどのような理由があれ
許されることではありません。

殺人犯を
断罪に処すべきことは明白です。

この事件を聞いたとき、
なぜそんなことを、
と感じる人と、
それ以外の感慨をもつ人びとと
別れるのかもしれません。

老後の人生計画に占める年金の比重が
階層によって
極端に違うのかもしれないのです。

私は
まだ日本には希望があると思うのですが、
もう日本は終わってしまったと思い詰める人々が
あらわれ始めたのかもしれないのです。

日本の企業はまだ健全なのだから
銀行の貸し渋りや貸し剥がしをふせげば
また円高を政策によって阻止すれば
企業はまだ力強く生き延びてゆくはずです。

政府さえしっかりしていれば
日本に希望を取り戻すことは可能なのです。

さらに
年金問題は明らかな国家的犯罪であるのに
告発もせずうやむやにしているところが
年金のみを楽しみに生きてきた人々にとって
許し難く感じるのかもしれません。

5000万件の年金がいまだ不明のままで、
年金不正操作の問題がその後もあとを絶ちません。

国民の多くが、
これは国家的犯罪であって、
どこかで誰かがはっきりと政治的責任をとるべきである
と思っているのではないでしょうか。

金融危機への対処もうやむやで、
年金不正処理への断罪もせず、
国民の中に
国の将来への不安や
何ごともなしえない政府への不満が
鬱積し渦巻いているように思えます。

暗い時代の始まりをつげるように
遠くで鳴り始めた闇黒の鐘を
誰かが止めなければなりません。


2008年11月16日(日曜日)

原理主義(2)

カテゴリー: - kawamura @ 07時16分27秒

G20でのアメリカの脳天気さは
いささか拍子抜けするほどです。

ブッシュが振りまく笑顔は、
場違いな感じが否めないと思いませんか。

金融危機を引き起こした張本人が
なんだか晩餐会の主役と錯覚しているかのようです。

それこそが
アメリカ自由市場原理主義者としての
確信犯の姿です。

アメリカと欧州の金融危機への対応がやや違うことは
以前もすこし述べました。

欧州は
キリスト以前の華やかな文明の歴史を持っています。

ギリシャ文明も偉大なるローマの歴史も
欧州の生活の中に名残をとどめています。

ライン河岸の駅で列車を降りて
なにげなく立ち寄ったレストランは、
ローマ時代の砦を改装したものでした。

歴史が欧州の知性に厚みを加えています。

アメリカは自由平等博愛の思想を根幹にしていますから、
歴史が浅く、
それゆえ短絡的な原理主義者の姿を
露呈することになったのでしょうか。

(ちょっとあわてて書いてます。
 いまから会合に出席しますので
 つづきはまた明日)


2008年11月14日(金曜日)

ブログ失念

カテゴリー: - kawamura @ 21時32分09秒

本日多忙ゆえ
ブログを忘れておりました。

明日書きます。


2008年11月13日(木曜日)

政府の無策

カテゴリー: - kawamura @ 07時55分03秒

世界に金融暴風が吹き荒れて苦しんでいるのに
日本はちょうど台風の目の中にいて
つかの間の平和を楽しんでいるかのようです。

しかし
わずかでも目の位置が動けば、
日本が世界最悪の暴風に曝されることは
必定です。

どういうことでしょうか。

それは
ながらく続いた日銀のゼロ金利、
あるいは超低金利政策の竹篦返しが
円高の巨大な津波となって
日本を襲うからです。

つまり、
いままで世界の投資家たちは
低金利の円を借りて高金利の国々に投資し、
その利ざやを稼いでいたのです。

諸外国の株価が下がり
利ざやが見込めなくなると、
慌てて外貨を売り円を買い戻して
借金を返済するのです。

いわゆる円キャリートレードです。

世界の株価が下がれば
必然的に円高になるというわけです。

日本の実体経済は健全でしたし
現在も健全です。

リーマンショックによって
日本の株価が下がったとしても、
確かに信用収縮がおきて
銀行の貸し渋りがおきるかもしれないけれど、
日本の実体経済が健全であることは確かです。

それなのに
トヨタを筆頭とする輸出企業は
円高によって企業業績を悪化させ、
ついにリストラをはじめました。

為替レートは
政策によって変動するものです。

つまり
日本政府の無策によって
日本に巨富をもたらしている輸出企業が
壊滅してゆくのです。

バブルの苦い教訓をもとに
羮に懲りて膾を吹いたおかげで、
世界で最も
リーマンショックの影響を受けずにすむという
幸運に恵まれたのに、
政府の無策によって円高を放置し、
健全で優秀な輸出企業を壊しつづけているのです。

これは
無能な政治家を選びつづけてきた
我ら国民の責任です。

つぎの選挙では
自民や民主などの党派を問わず
有能な政治家だけに一票を投じましょう。

あの人種差別の国アメリカでさえ
恐慌の危機を感じて、
切り札のように、
有能な黒人大統領を選んだではないですか。

私たちも政策を学び政治を良く知って
託すに足る者に
この国を託しましょう。

政党の枠を越えて
連立政権にせよ新党を結成するにせよ
現在の無能な政治家たちを
いちど一掃してからのことです。

百年に一度という
金融危機のさなかで、
無能な政治家たちを放置し、
発言もせず行動もしない者は
後世かならず責任を問われことになるでしょう。


2008年11月6日(木曜日)

Barack Obama

カテゴリー: - kawamura @ 08時50分26秒

初の黒人大統領が誕生しました。

どれほどこの日を
colored(有色人種)は待ち望んだのでしょう。

白色人種と有色人種とは
長い差別の歴史を刻んできました。

私たち日本人も
白人崇拝の固定観念から抜けだすことができません。

今でも白人に隷従しているほうが
何ごとにつけ有利であると思っている
有色人種が大半なのだろうと思います。

とくに日本人は
アメリカ帝国の属領ですから
give me chocolate!以来の白人への憧れは
根強いのです。

なぜって
江戸時代の三百年近くを鎖国していたあいだに
科学技術が天地の差ほどひらいて、
明治維新には欧州を目標にするほかなかったからです。

たった四杯で夜も眠られなかったのですから。

もう、一世紀も経つというのに。

太平洋を隔てた日本においてさえそうだったのですから、
アフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫が、
どれほどこの日を待ち望んだことか。

私たち有色人種も人間なのだということを
世界一の大国アメリカが
認めざるを得なかったのです。

どれほど
有色人種への差別が過酷なものだったか
ご存じでしょうか。

南アメリカのインディオを
当時の世界最強国であったスペインが
どのようにして滅ぼしたのか
ご存じでしょうか。

文字にするのもはばかられるほど
残虐の限りを尽くしてインディオを滅ぼしたことを
ご存じでしょうか。

我ら有色人種の
拭うことのできない白人との差別意識から
ようやく開放されるかもしれないのです。

オバマに
有色人種の優秀さを具現してもらいたい
と願います。

優れた大統領として
金融危機を乗り越える優れた政策を実行することです。

世界第一の大国の大統領として
世界に
輝かしい希望の旗を掲げてみせることです。


2008年11月4日(火曜日)

金融危機(6)

カテゴリー: - kawamura @ 08時24分23秒

津波は過ぎて
あとは二次災害に対処する時期に
入ったのでしょうか。

まだちいさな波は
繰りかえし押し寄せてくるでしょうけれど
破壊的な津波は
もう終わったのだと期待します。

二次災害、
それは感染症などのことで、
つまり連鎖倒産を意味します。

ハンガリーや韓国は
まだまだ危機のさなかにあるようですが
主要国が安定すれば
やがてそれも収まるのでしょうか。

アメリカの大統領選を見ていると
金融危機などどこ吹く風で
まるでロックコンサートのようです。

アメリカはいまだ世界の憧れで
ローマ帝国の皇帝でもあるかのように
キリストの再来のように振る舞っています。

なにを考えているのでしょうか。

アメリカ発の金融恐慌によって
世界がその復旧に塗炭の苦しみを嘗めているときに、
あるいは国家が破産し
国民が煮え湯を飲まされているまさにそのときに、
恐慌の元凶として世界に謝罪する姿勢など
微塵も見られません。

アメリカの学校では
700ページに及ぶ分厚い歴史の教科書は
すべてアメリカ史で占められていると聞いたことがあります。

アメリカはローマ帝国のように
すべての周辺国は
ローマに隷従している属領
とでも考えているのでしょうか。

まもなく
アメリカ大統領が決まります。

翻って
1年ごとに首相の変わる
政治不安の日本は、
世界での政治的経済的地位を
日毎に失いつつあります。

海をへだてた隣国では
四千年の眠りから覚めた巨大な龍が
目を醒ましはじめたというのに。


2008年10月31日(金曜日)

毀誉褒貶

カテゴリー: - kawamura @ 07時54分26秒

毀誉褒貶(きよほうへん)はひとに委せよ、
勝海舟の口から
この言葉がもれたことがあると、
恩師岡不二太郎教授から
教えていただいた記憶があります。

勝が幕府代表として官軍司令官西郷隆盛と会談し、
江戸城の無血開城を決したあとのことです。

それを不服として江戸城に立てこもった直参たちに
いつ斬られるかもしれない勝の口から
この言葉が洩れたというのです。

毀誉褒貶はひとに委せよ。

剛胆の勝もそう言わざるを得ないほど
まいっていたのかもしれません。

自分をとりまくすべての人々の心を
推し測ることなど不可能ではあるけれど、
それらへの細やかな配慮をも忘れず、
毀誉褒貶はひとに委せて、
自らの信じる道を堂々と歩めばよいと
教えられたのです。

実際私のように
眉毛は太く雄々しいけれど、
心は風にゆれる野菊の花のような男にも
その言葉をつぶやきたくなるときもあるのです。

(ところで拙著をお求めになりたいと
 奈良からお電話くださった方
 コメント欄でも結構ですから
 ご連絡いただければ幸いです。

 脳科学者 茂木健一郎先生序文
 『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』河村隆夫著
 amazonまたは島田駅前BOOKS ZEN(0547-33-0002)にて発売中)


2008年10月29日(水曜日)

金融危機(5)

カテゴリー: - kawamura @ 08時29分20秒

アイスランドの国家破産が
現実味を帯びてきました。

どこまで金融パニックがつづくのか
不安な日々です。

つまるところ
世界的な貧富の格差が拡大して、
それは国家にせよ企業にせよ個人にせよ、
富めるものはますます富み
貧しきものは
さらに貧困の底へ沈んでゆく姿が
現実化しているのです。

彼ら富める者たちが手にしている資金は、
1970年前後に金本位制が終焉を迎えて
為替変動相場制に移行してから、
実体であるGold(金)と無関係となった
虚構の紙幣です。

あるいは現在では、
紙幣というよりコンピュータ画面に表示される
デジタル数字にすぎないものとなりました。

インターネットが、資金の虚構化に拍車をかけました。

まさに、映画のマトリックスを見ているようです。

実体を離れた金融工学の
地球規模での暴走が始まったのです。

世界的富裕国の巨富が、
実体経済から遊離したマネーゲームをの賭博場を
デジタル仮想空間の中に創りあげました。

実体経済も、
インターネットを通じて
デジタルマネーゲーム場と直結しているから、
その勝ち負けに一喜一憂しなければなりません。

なんだかとても愚かしい姿です。

まったく新しい経済の仕組みを考え出さなければ、
影が実体を引きずるような
金融恐慌映画「マネー・マトリックス」を、
我々は苦々しい思いで
手をこまねいて見つづけるしかありません。

なぜか
デビッド・ハルバースタムの
『覇者の奢り』を思いおこします。

やがて国務長官となるフォード社のマクナマラと、
工場長たちとの熾烈な争いを思いおこすのです。

マクナマラのケインズ経済学と、
油にまみれて車を造りあげる人たちとの
鬩ぎ合いが描かれているのです。

たしかに
資本主義と自由主義経済は
現今の体制の中では最も優れたものと思います。

しかし
これほど膨大な国際的余剰資金と
その暴走の場を提供するデジタル仮想空間の
これほどの進展とを、
誰も予想し得なかったのでしょう。

どこかの国が、
もうこのへんでガラガラポンをしよう
などと言い出さなければいいのですが。


2008年10月25日(土曜日)

レバレッジ

カテゴリー: - kawamura @ 12時43分51秒

今日は
エチルアルコール性頭痛のため
ブログをお休みします。

昨夜、
金融危機について
教え子に教えられながら
エチルアルコールをすこしたしなみましたので。

レバレッジという
恐るべき金融手法を知って
腰が抜けるほど驚きました。

他人の財布で投機するなど
思いもしないことでした。


2008年10月23日(木曜日)

目覚めたときに

カテゴリー: - kawamura @ 07時48分35秒

目覚めたときに
今日のブログのアイデアを思いついたのですが
娘を駅まで送って戻る道すがら
よそ事を考えているうちに
もうすっかり忘れてしまいました。

誰にもいつでもおきることです。

そういうときに
即座にメモをとることの出来るようなツールが
発売されないものでしょうか。

たとえば携帯に録音機能がついているとか。

ひょっとしたら
もうついているのかもしれません。

日本の携帯は箱庭のように
種々の機能が満載されすぎていて、
かえって他国の市場で嫌われ、
世界市場への進出に遅れををとっている
と聞いたことがあります。

それでも
今朝の目覚めアイデアが失われたことを思うと
録音機能に魅力を感じます。

日本人は
寄木細工の箱のように
智慧を満載したちいさなものが大好きなのです。

世界がリセッションにはいるなら
日本は
自給自足型経済へむけて
内需拡大を図るのもひとつの方法かもしれません。

江戸時代ほどではないにせよ
自給自足型経済へ
スイッチを入れ替えられるようにしておくのも
現今の世界金融恐慌から逃れる道かもしれません。

ここまで書いていても
目覚めたときのアイデアを
思い出すことができません。

あれは、なんだったのか、
それはおさない日におきた出来事はすっかり忘れて
そのクオリアだけが残っているように、
今朝のアイデアのほのかな香りが
いまだ記憶の闇にたちこめているのです。

その香りの霧のなかに立つアイデアの影は
さだかでないのです。


2008年10月15日(水曜日)

金融危機(4)

カテゴリー: - kawamura @ 07時55分51秒

ニューヨーク市場が開くまえに
米銀行への資本注入が行われるだろう
というところまでは的中しましたが、
まさか株価が下がるとは思いませんでした。

投資家は冷徹に考えていて
私のように朝の10分で
ちょこちょこっとブログを書きながら考えるのとは
どうもわけが違うようです。

しかしこの一世紀に一度といわれる
金融危機をみていると、
今週明けからの各国の対応の違いに
お国柄が反映していて興味深く感じられます。

欧州市場は
上意下達に慣らされているようで
政府の決定に議会も市場も素直に従う
といった様子がみてとれます。

それは市民革命までの
長い中央集権制度のなごりでしょうか。

アメリカはご承知のように
欧州からの移民の子孫です。

欧州の封建制度に
馴染まなかった者たちが創り上げた国ですから、
危急存亡の瀬戸際にあっても
政府の決定に議会が反旗をひるがえすことなど、
当然のことなのでしょう。

欧州政府の資本注入の決定には
ニューヨーク市場が沸き立ちましたが、
自国の25兆円にのぼる資本注入の決定には
実に冷淡な反応のように見えました。

実体経済は政策によって左右されるものではないぞ、
と言っているかのようです。

銃が正義であった西部開拓史をみるようです。

市場を飛びかうマネーこそが正義であると。

それはまるで、
金融波乱という西部劇のなかで
マネーという実弾を手のひらにもてあそんでいる
ビリー・ザ・キッドの姿を彷彿させます。

(イタリアのファシズムへの回帰も不気味です。
 歴史がくり返さないことを祈ります)


2008年10月14日(火曜日)

金融危機(3)

カテゴリー: - kawamura @ 07時56分33秒

あ〜、よかった。

イギリスが早かった。

ドイツもフランスも、
ユーロ圏は早かった。

イギリスなんかは
予防的な公的資金をいくつかの銀行に
資本注入した。

予防措置としての資本注入は
前例のないことだそうです。

それを受けてニューヨーク市場は
史上最大の上げ幅でそれに答えました。

ところで、
元凶のアメリカは何をしているんだろう。

資本注入などの具体策を
検討しはじめたようです。

なんだか本末転倒のような気がしませんか。

まず震源地のアメリカが
市場に向けて具体策を発表すべきだったと思いませんか。

しかしこれを好意的に取れば、
まずEUが具体策を発表して相場を上げ、
翌日のニューヨーク相場が開くまえに
アメリカ政府が資本注入の具体的プログラムを発表して、
翌日の相場の急落を防ぐ
という二段階の戦略なら肯けるというものです。

さてどうなるものでしょうか。

米国政府の
緊急かつ具体的な対策が待たれるところです。

しかし
ひとまず恐慌を回避できる気配が見えはじめました。

この金融危機の後遺症は
これから長くつづくのでしょうけれど
なんとか世界恐慌を防ぐことはできたような気がします。

銀行に投入されたのは
我ら庶民の血税ではありますが
まあなにはともあれ
よかったですね。

(明日上げれば本物でしょうか)


2008年10月12日(日曜日)

金融危機(2)

カテゴリー: - kawamura @ 16時40分58秒

グローバルスタンダードとは
このことだったのか、
アメリカが強引に求めた金融緩和とは
このことだったのか、
といまさらのように思います。

なぜアメリカ政府が
世界の金融市場をアメリカンスタンダードで統一しようと
躍起になったのか、
その理由がようやく理解できたような気がします。

政治力で各国の城門をこじ開け、
金融工学の粋を尽くしたサブプライムローン債券を
トロイの木馬に秘密裏に仕込んで、
各国の金融機関に送り込むためだったのでしょうか。

とすれば
アメリカ政府の言いなりになって
グローバルスタンダードや金融緩和を声高に叫んだ各国政府も
現在の金融恐慌に加担したことになります。

もしも世界金融市場開放のあとに
サブプライムローン債券がばらまかれることを
アメリカ政府が予見していたのなら、
世界恐慌にアメリカ国家が加担したことになるのでしょう。

(それはちょっと考えすぎでしょうか?)

日本では土地バブルのあと
銀行の債務処理に多額の税金が投入されました。

さらにそのあと
長期にわたって国民の貯金金利をほぼゼロに抑え、
本来預金者が受け取るべき金利を強奪して、
銀行はそれを債務の返済に充てたのです。

つまり日本国民は
税金による資本注入と超低金利と、
銀行の為に二重に搾取されたのです。

しかしそれは日本一国のことでした。

今回のサブプライムローン問題では
全世界の市民が
おそらく日本国民と同じように
金融機関の二重のつけを払わされることになるのです。

売り逃げた彼ら一握りの富裕層はますます富み、
全世界の市民はさらに搾り取られるのです。

かといって、
銀行への資本注入がなければ
世界は金融恐慌になる、ということですから、
(ホントでしょうか?)
アメリカの危うい金融機関へは
税金を直接投入するほかないのです。

この日本型のバブル処理の方法は
彼らには都合がよかったのでしょう。

なぜって、
彼らが思う存分稼いで楽しんだあとの混乱は、
我ら庶民が尻ぬぐいをしてあげるというのですから。


2008年10月11日(土曜日)

金融危機

カテゴリー: - kawamura @ 08時51分30秒

これが恐慌の始まりでないといいのですが。

「人間が歴史から学んだことは、
 歴史から何も学んでないということだ」

まったくその通りで、
オランダで1637年におきたチューリップバブル
日本で1980年代後半におきた土地バブル
そして今回のアメリカ発サブプライムローン・バブル

今回のサブプライムの悪質なところは、
不動産ローンの売買を証券化し、
さらにそれを債務担保証券に再証券化して、
それを組み込んだ商品を世界中にばらまいたことなのです。

どうして繰りかえし繰りかえし
こんなことがおきるのでしょう。

チューリップ・バブルについてはよく分からないようですが
日本の土地バブルの前は
長期にわたって貿易黒字が続いて、
企業には潤沢な余剰資金がありました。

それが土地へ向かったのです。

しかし日本の土地バブルは国内問題ですみましたが、
今回のサブプライムローン・バブルは世界を巻き込んだのです。

サブプライム問題の裏には、
国境を越えて暗躍する巨大な資本の影が見え隠れします。

巨大な資金が流れ込んで沸き立つ相場に
庶民がおずおずと参入しはじめたころ、
つまり相場が天井を打つはるか前に
彼らは逃げ切るのです。

やがて暴落して、
紙くずと化した株券を手に庶民は呆然として立ちつくす、
という昔ながらの構図です。

彼らの巨富はどこから得られたのか。

南北問題と呼ばれる先進国と途上国との経済格差が
その源泉なのです。

レアメタルは主に中国やアフリカ諸国で産出されます。

経済格差は為替に反映され、
それゆえ先進諸国はそれらを安価で輸入できるのです。

労働力においてはまさにしかり。

給与の低い国で製品を生産して世界に販売すれば
当然巨富が得られるでしょう。

これは植民地時代と基本的には変わらないように思えます。

以前にも書きましたが
日本にも百億から千億単位の個人資産を所有する人々が
かなりの数存在していて、
先進国に住むそのような富裕者の資本が
ファンドを通じて世界を動かしているのです。

アイスランド国家が破綻しかけるほど、
彼らの力は強大です。

G7が束になってかかっても
彼らを抑えきることはできないのでしょうか。

来週明けのニューヨーク相場がその答えを出します。


2008年9月18日(木曜日)

アメリカの強さとは?

カテゴリー: - kawamura @ 08時17分11秒

なぜアメリカは強いのか、
と問われたことがあります。

数年前のことだったと思います。

そのとき私は、
多様性、と即答しました。

次々と植民地化されてゆくアジア諸国の中で、
ただひとり日本の明治維新が成功したのは、
多くの藩に分かれ、
それらが独立国のようにさまざまな施策を競いあっていた
江戸時代の多様性にあったとも云われています。

藩の多様性が多様な人材を生み出したのです。

開国して西洋文明が押し寄せてきたとき、
それを受け止め、
日本文化に融合させることができたのは、
多様性にみちた西欧文明にに対応できる
多様な人材がいたからということです。

アメリカは人種のるつぼで、
各種の宗教に色どられ、
冷酷なマフィアがいるかと思えば
神に仕える聖職者もいます。

宇宙物理学者がいるかと思えば、
近代以前の暮らしを固守している
アーミッシュもいます。

どのような種類の国難にも対処できる
あらゆる分野のエキスパートが
アメリカにはいるのです。

有色人種のオバマが
大統領候補として活躍している姿は
多様性を是認しているアメリカの国民性を
見事にあらわしています。

あまりの強さゆえ
ときに国際社会では横暴な振る舞いをしますが、
その多様性を背景にして
もうすでに
サブプライムローンショック後の国家戦略が
動き出しているのかもしれません。


2008年8月11日(月曜日)

北島康介

カテゴリー: - kawamura @ 21時20分06秒

有言実行。

男らしい男を見た気がする。

アテネオリンピックで金メダルを手にしてから
彼に訪れた地獄の季節。

4年間のスランプを乗り越え、
世界新で金メダルをふたたび手にした。

どれほどの苦しい夜を越えてきたのか。

どれほど歯ぎしりをして泳ぎつづけたか。

夜が深いほど輝かしい朝が来ることを
彼は証明してくれたように思う。


2008年8月7日(木曜日)

リッター24.2?

カテゴリー: - kawamura @ 06時24分29秒

愛しのプリウスは
いま、リッター24.2?。

平均燃費25?を目差しています。

現在、ガソリンを40リットル給油して
1000?以上走りますから
実際はリッター25?を越えているはずです。

表示されるのは購入時からの平均燃費ですから
走行距離が伸びるにつれて
逆に燃費が伸びにくくなるのは
やむを得ないことです。

走るほどに分母が大きくなるから。

それにしても昨年の1月下旬に
プリウスを購入してからの
ガソリン価格の高騰は異常です。

世界を舞台にうごめく
巨大投資マネーが一因のようです。

しかし反面、
産油国はオイルマネーで潤って
産業も盛んになって
テロは減るのかもしれません。

ともあれ、
そのような大げさな話は別にして
前車のリッター約8?から
燃費は3倍にのびました。

おかげさまで超安全運転にもなりましたし、
エコに貢献してしている喜びは
なにものにも代え難いものがあります。

エアコンを消せば燃費はもっとのびるのでしょうけど
燃費のために汗だくになって
ハアハアしているのもみっともないから
くやしくても
最低限のエアコンはつけることにしています。

さあ、今日も、リッター25?をめざして頑張ります!

(べつに私はトヨタのまわし者ではありませんので)


2008年5月10日(土曜日)

愛知大学

カテゴリー: - kawamura @ 05時15分15秒

きょうは
金谷から豊橋、
豊橋から電車に乗り換えて愛知大学まで行きますので、
きのうより往復の時間がかかります。

帰ってきてから高校生に数学を教えますから、
それは昨夜と同じスケジュールです。

きのうはブログのお約束をしておきながら
10時半に帰宅して、
疲労困憊しておりましたので
ついに書くことができませんでした。

申し訳ございません。

きょうも、
ブログのお約束をしない方がよさそうです。

いまから、
授業の準備をしなければなりませんので。

朝の五時
外はもう明るくなってきました。

(明日のブログは、
 いつものように、明日の朝考えることにします)

(脳科学者 茂木健一郎先生序文
 『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』河村隆夫著
 amazonまたは島田駅前BOOKS ZEN(0547-33-0002)にて発売中)


2008年5月9日(金曜日)

金曜の午後

カテゴリー: - kawamura @ 05時14分38秒

毎週金曜の午後には、大学で教えていますので
ブログは帰宅してから書くことにします。

大学の授業は来年の2月までつづきます。

それでは、今夜帰宅してから、またお会いしましょう。

(脳科学者茂木健一郎先生序文
 『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』河村隆夫著
 amazonまたは島田駅前BOOKS ZEN(0547-33-0002)にて発売中)


2008年3月11日(火曜日)

大学の授業

カテゴリー: - kawamura @ 06時45分54秒

今日は浜松の大学で授業が2コマ、
そのあととんぼ返りで塾の授業です。

大学からタクシーを飛ばして
新幹線、JRと乗り継いで
ぎりぎり塾に間にあうというスケジュール。

女子学生が多いということですから
オシャレをしていかなくてはなりません(笑)。

しかし濃いヒゲと太い眉毛は隠しようもないから、
少しうつむきがちに教壇に立つつもりです。

私は顔のつくりが「濃い」ので、
古事記の時代だったらもてたのかもしれないけれど、
いまはだめです、
私の時代ではありません。

私は高潔に生きるのです。

私は清爽の人生を生きると決めたのですから。

ということで、
時間があれば「三性論」でも話そうと思っています。

彼女たちのこころに
仏陀の智慧を伝えようと思うのです。

では、行ってまいります。


2008年3月9日(日曜日)

毒餃子2

カテゴリー: - kawamura @ 07時14分35秒

中国食材に含まれる高濃度の農薬、

あるいは他国から輸入する食料に含まれる
害虫の発生をおさえるための多量の農薬、

これらは、
日本人の人体にどのような影響をもたらすのでしょうか。

こんなことがありました。

昨年のことです。

私の知人が亡くなるとき、
消化器官の病変で、半年間食事をとることができず、
点滴で過ごしました。

ところが、
4か月ほどたつと、
妻を妻とも、子を子とも見分けがつかなくなりました。
恐ろしいことでした。

そのとき医師が言いました。

「よくあることです」

「人間の体には、
 おそらく非常に微量だけれども、
 欠くことのできない元素があるのです。

 点滴の補液の中にそれは含まれていないのです。
 
 なぜならそれは確認することができないほど
 微量だからです。

 これは医学的に証明されたわけではありません。

 ただ経験的に、
 長期間点滴だけをつづけると
 多くの方がこうなるということは、
 そう考えるしかないのです」

考えてみればこれは当たり前のことでした。

数百万年前から我らが食してきたのは、
大地に根を張った植物や、
他の生物を食べて成長する動物です。

大地から果実へ運ばれる樹液の中には
地中の様々な微量元素が含まれていることは明白です。

あるいは動物が飲む湧き水の中にも
豊富なミネラル、
すなわち無機物元素がふくまれているはずです。

点滴の液の中には、
厚労省が決めた12のミネラルが含まれているのでしょう。

しかし我々人類は
厚労省の基準に則って地上に発生したわけではありません(笑)。

おそらくそれ以外の、
それは微量で化学的に検知できないほどの量だけれども
人体に不可欠の元素があるのだろうと思います。

それほど数十億年の生物の進化は
精妙で
人知を越えるところが今なおあるのです。

ということで、
我らが日々食する食材に、
人間の生理機構を破壊する微量元素が含まれることを
私は恐れるのです。

毒性の強い農薬などもってのほかですが、

ひとつひとつの食材に
決して検出されない程度の微量な悪性元素を含ませ、

多様な食材から
総合的に人体に取りこませると、

たとえばホルモンのバランスを微妙に狂わせ
性欲を失わせるような元素、

それらを長期にわたって摂取させれば、
その国民の意欲は減退し
やがて少子化の果てに滅ぶでしょう。


2008年3月8日(土曜日)

毒餃子

カテゴリー: - kawamura @ 07時48分13秒

農薬は日本で混入した可能性がある、と中国に叱られたようです。

日本の調査結果が報告されて来ない、と中国は大変お怒りのご様子。

それっておかしくない?

誰もそう思い、誰も何も言えない。

「毒餃子」から
「ロス疑惑」へ視聴者の目が移るうちに、
無差別に、日本人の口に毒をふくませたこの事件は、
政治決着でうやむやになるのでしょう。

(もうすでに忘れ去られたのかもしれません)

TVで官僚が申し訳なさそうに言った言葉、

「中国の食料なしでは、もはや日本の食生活はなり立ちませんから」

これが本音でしょう。

「毒入りだというなら、日本への食料輸出を全面停止する」
その一言で、日本は屈服せざるを得ないのでしょうか。
明日から食べる物がなくなるから。

中国食品をすべて拒否するなら、
日本人は食料に高い対価を払わなくてはなりません。

それに、日本人は耐えられるのでしょうか。

その昔、GHQが企んだことのひとつに、
日本の食生活を変化させて、
米国食料を日本人に食べさせる計画がありました。

これは長期にわたって実施されたようで、
現状を見ればその成功は一目瞭然。

味噌も醤油も、原材料の大豆はほとんど米国産。

ファーストフードの店がどの街にもある。

小麦を米国から日本へ輸送するとき、
虫が湧かないように、
船倉の小麦に農薬を混ぜる。

それがどれほどの量なのかは知らないけれど、
戦後数十年間にわたって、
我らは農薬のしみこんだ小麦を食べていたことになる。
あるいは、小麦製品を食べていたことになる。

それは微量で、人体に影響はありません、
と言いたいのかもしれないが、私は不安です。

ましてや中国の毒餃子は、
極端に毒性の高い農薬で、
摂取量によっては死に至るのです。

私は錯体化学をすこし学びましたが、
微量の元素が、
どのように劇的な化学変化をもたらすかを知っています。

中国食品のひとつひとつに含まれる薬品はごく微量で
検知できないとしても、
それらが総体となって日本人の体に蓄積されたとき、
どのような結果をもたらすことになるのか。

ブランド製品を買うために生活を切りつめて、
あるいは定職に就けないために、
安価な中国食品でしのいでいる若者たちがいるとすれば、
彼らは微量の薬品を蓄積させた体で
子孫を残すのです。

(つづく)


2008年2月4日(月曜日)

”神の手”の感想

カテゴリー: - kawamura @ 10時18分50秒

日テレ”スッキリ!!”ただ今拝見。
緊張して、
1時間前からテレビの前に正座。

しかし驚いた。
小野先生はそんなにすごい方だったのか!

患者に不安を与えないように
との配慮からなのだろうけれど、
小野先生の説明では、
私のがんは簡単な手術ですむような印象だった。

おかげで私も家族も
手術の不安は全くなかった。

がん告知されたあとの
私の意気消沈した姿を
むしろたしなめられたくらいだった。

実際、手術は簡単に終わって、
前より健康に暮らしている。

今、番組を見て初めて知った。

他の病院にかかっていたら
胃を全摘されたかもしれないと思うと
背筋が寒くなるし、
小野先生に手術していただいた幸運が
どれほどはかりしれないものであったのかを
今にして知った。

なにせ、先生はさりげなく言う。
大きな声は決してださない。
何ごとでもないと
いまの今まで思っていたことが、
実はすごいことだったのだ。

ひとはそれと知らずにいるが
人生は奇跡の積み重ねなのだ。

何ごとでもないと思っているすべてのことが
じつは奇跡なのだ。

それを偶然知るときが来る。
そのとき、
どれほど生命が尊いものか
ひとは神の深淵を覗き見る。

(皆様、コメント欄にご感想をどうぞ!)
(今、生徒の保護者から連絡がありました。
 有難うございます。)


2008年2月3日(日曜日)

2月4日9:07日テレ”スッキリ”

カテゴリー: - kawamura @ 07時29分20秒

この番組は、早期胃ガン患者の福音となるだろう。

神の手を持つ医師として登場する
静岡がんセンター内視鏡科部長 小野裕之医師は、
一年間に約330人の内視鏡手術を手がけるという。

小野医師は今45歳だから、
20代から手術をはじめたとして、
すでに数千人の手術をしたことになる。

ディレクターからの要請で、
小野医師はその数千人の患者の中から、
手術前の人を一人、
手術後の人を一人、
今回の番組のために選んだそうな。

その手術後の一人が
かくいう私である。

出演依頼の電話があったとき、
深い喜びが湧いた。

なぜなら小野医師は、
私の癌が完治したことを世間に公表して良し
としたからだ。

太鼓判を押されたと言うことだ。

神の手に救われたことを感謝し、
全国の早期胃ガン患者にこの喜びを伝えたい。

早期胃ガンは、
小野医師の内視鏡ITナイフにかかれば
4泊5日の入院ですみ、完治する。

私がその証人です。

(明日2月4日(月) 朝9:07〜9:15 
 日テレ(静岡第一テレビ)”スッキリ!!”)


2008年1月31日(木曜日)

静岡がんセンター内視鏡科部長 小野裕之医師

カテゴリー: - kawamura @ 05時01分41秒

その人がどれほどの方か
私は全く知らずにいた。

一昨年の秋、
早期癌の告知を受けて、
静岡がんセンターの
小野先生にすべてをお任せした。

たしかに
京都大学で遺伝子研究に携わっている
教え子の医師・藤田陽太博士から、
是非小野先生を、というお薦めはあった。

しかしその時点で、
小野医師がどれほど秀でた方かは、
全く知らなかったのである。

そのころの私は
自分の癌が食道癌ではないかという恐怖におびえていた。
その癌は胃と食道のちょうど境目にできていて、
地元の医師から食道癌のおそれがある
と伝えられていたのである。

食道癌の五年生存率は極端に低く、
私は命の終わりを感じていた。
娘たちを呼び寄せ、家族で小旅行もした。
別れの旅のつもりだった。

しかし私の塾には
受験生たちが待っていた。
ちいさな塾だが、
受験シーズンを控えたこどもたちが
私を待っていたのである。

外科手術は避けたかった。
このいまいましい癌を
外科手術をせずに切り取ることはできないのか。

そのとき小野医師は答えた。

「内視鏡ITナイフを使えば可能です。
 お腹を切らずに、
 口から内視鏡を入れて
 癌を電気メスではがすんです」

そんな手術法があるのか。
しかも静岡に。
そのとき私の目に
四十代の小野医師が「神」に見えた。
それはまさに、神の言葉だった。

小野医師の言葉通り、
内視鏡ITナイフによる
癌組織の摘出手術はあっけなく終わり、
わずか4泊5日で退院したのである。

手術後の経過はきわめて良好で、
手術する前よりはるかに元気になって、
体重も少し増えた。
酒も人並み以上に飲めるようになった。

昨年の文藝春秋で日本の名医の特集があって、
そこで初めて小野医師が
内視鏡ITナイフを
世界に先駆けて開発した一人であることを知り、
はじめて我が身の幸運を天に感謝したのである。

昨年11月、
一年後の経過観察で、
術後痕の内視鏡写真をみて、
私は声を上げた。
つるつるの美しい内壁だった。

手術前、
そこにはエイリアンが鎌首を擡げたような
悪性腫瘍があったのである。

そのときはじめて、
小野医師が
神の手を持つ名医
と呼ばれる所以を実感したのである。

来週月曜日
2月4日の日テレ「スッキリ!!」では
小野医師の手術シーンも詳しく紹介されるという。

全国の、癌の不安を抱える方々に
是非ご覧いただきたい番組です。
(ちなみに私の妻もご覧いただけます(笑))

コメント欄に、
感想などいただければ幸いです。

(大事件など発生すると放送変更の可能性もあります)


2008年1月29日(火曜日)

日テレ”スッキリ”2月4日

カテゴリー: - kawamura @ 09時59分07秒

2月4日
日テレ(静岡第一TV)
朝のワイドショー”スッキリ”

企画書が送られてきました。

これは、後日UPするとして
みなさんお分かりになりましたか?

じつは、取材された番組の主人公は
私ではないのです。

神の手を持つ人

私を死の淵からすくってくれた人

その人が主人公です。

神の手を持つ医師

静岡がんセンター内視鏡科部長 小野裕之医師。

つづきはまた明日。


2008年1月27日(日曜日)

日テレ出演??

カテゴリー: - kawamura @ 00時10分09秒

先日、
日本テレビ、
朝のワイドショー”スッキリ”
の番組取材があったことをご報告いたしました。

なんで?
何であんたが朝のワイドショーで全国放送なの?

そんな疑問を感じませんでしたか。

そこで、

「河村夫婦は、なぜ日テレで取材されたのか」

この疑問に正解された方には
御林守河村家手作りの「冑佛梅干し」を差し上げます。

「冑佛(かぶとぼとけ)梅干し」は
減塩(10%)で、しかも常温で保存できる梅干しです。

あなたもコメント欄に正解を書き入れて
「冑佛梅干し」を味わってみませんか?

さあ、コメント欄を今すぐクリックしましょう!

(梅干しより、ほかの景品の方がいいですか?(笑))


2008年1月20日(日曜日)

日テレで全国放送されます!!

カテゴリー: - kawamura @ 08時11分06秒

昨日、日本テレビの撮影取材を受けました

日本テレビの、
ディレクターとカメラマンが
東京からお見えになり、
旧宅では、私たち夫婦の2時間インタビュー、
塾では、授業風景などを撮影しました。

朝10時半にお見えになり、
夜の8時半にお帰りになりましたから、
10時間、様々なお話をしたことになります。

チャンネルは日本テレビ系列、
静岡では「静岡第一テレビ」です。

放映の日時は、
まだ正確ではありませんので
追ってお知らせいたします。


2008年1月14日(月曜日)

振り向くな 君は美しい

カテゴリー: - kawamura @ 17時55分50秒

国立のフィールドに
紫の稲妻を見せた君たちを
誇りに思う。

開会式のグランドに校歌が流れたとき
鳥肌が立った。

倒れても倒されても
立ち上がってパスをつなぐ文武両道の姿に
年老いた先輩の私たちは
どれほどの勇気と感動をもらったろう。

敗れて泣きくずれる君たちを
心から誇りに思う。
ひたむきに青春を駈け抜けた君たちを
誇りに思うよ。

さあ、
みんなであの歌を歌おう
涙を流しながらでいいから
あの歌を歌おう

1.
うつ向くなよ ふり向くなよ 君は美しい

戦いに敗れても 君は美しい

今ここに青春を刻んだと グランドの土を手に取れば

誰も涙を笑わないだろう

誰も拍手を惜しまないだろう

また逢おう いつの日か また逢おう いつの日か

君のその顔を忘れない

2.

うつ向くなよ ふり向くなよ 君は美しい

悔しさにふるえても 君は美しい

ただ1度めぐり来る青春に 火と燃えて生きてきたのなら

誰の心も打てるはずだろう

誰の涙も誘うはずだろう

また逢おう いつの日か また逢おう いつの日か

君のその顔を忘れない


2008年1月6日(日曜日)

決勝進出、藤枝東!!

カテゴリー: - kawamura @ 17時05分29秒

ひさびさ、テレビに向かって
我を忘れて叫びましたっ!!

母校、藤枝東高校が、
サッカー準決勝に勝ちました。

14日、高校サッカー決勝戦、
国立競技場に出場するのです。

河井、かっこいい〜!!
みなさん、見ましたっ?
河井のシュートは一級の芸術品です!

(河井成信の子孫じゃないのかっ!(笑)
 それとも、
 eコミの河井先生の息子さんでしょうか?)

あの歌を聞くと、
思わずじわっーときてしまいます。
あの歌、

(振り向くなよ、振り向くなよー
 きみは、うつくしい、
 戦いに敗れても〜)

敗れ去った、三鷹も高川も
青春の空にひびく音楽のように
私たちの胸に
爽やかな余韻を残してくれました。

ありがとう、ありがとう。


2007年12月6日(木曜日)

小火のお詫び

カテゴリー: - kawamura @ 22時32分24秒

本日午後五時半ごろ、島田市根岸(金谷河原)のアパートにて、
小火があり、直ちに鎮火しましたが、
御近所の皆様、消防団の皆様、警察署の方々に於かれましては、
多大なるご迷惑をお掛けしましたことを、
アパートの所有者と致しまして、心からお詫び申し上げます。

アパート1階の1室の台所で、天ぷら油に引火し、
すぐに火のついた鍋を窓の外に出して、
それを消火器で消したという当事者のお話でした。

そのとき設置場所から消火器を持ってきたのは
小学校一年生の坊やだったようです。
母親がそれで消火したのです。
坊やに感謝状を出したいほどです。

入居者の母子に火傷も怪我もなく、
天井にも壁にも焼けた跡がまったくなく、
ただ台所の換気フードと、窓の網戸がすこし焼けた程度で、
事なきを得ました。
従って、消防車からの放水などは全くありませんでした。

この小火騒動に関係した方々、
また交通規制などでご迷惑をお掛けした多くの方々に、
重ねてお詫び申し上げます。


2007年9月7日(金曜日)

全国報道された事件の詳細3

カテゴリー: - kawamura @ 10時54分07秒

7日の静岡新聞より。
***********************
(略)
同署(島田署)などは
むりやり車に乗せられたことを示す証言として
裏付けを進めるとともに、男性が少女を車内に
監禁して連れ回し、暴力を振るった疑いが
強いとみて、被疑者死亡のまま立件を検討している。

また男性は平成四年に当時住んでいた埼玉県内で
女子高校生=当時(十五)=を刃物で脅し、
車で連れ回したとして、逮捕監禁などの疑いで
逮捕されていたことも分かった。
(略)
***********************

男性に、今回の事件と同様な前科があったことや、
車内にアイスピック、包丁などを
用意していたことを考え合わせれば、
男性の計画的犯行のようにおもいます。

この事件についての結論は、ほぼ見えたように思います。

これからはふたたびおだやかな谷間の風景を、
みなさまにお伝えすることと致します。


全国報道された事件の詳細2

カテゴリー: - kawamura @ 02時15分32秒

6日の静岡新聞記事から。
***********************
男性会社員を刺したとされる美容師見習いの少女は
「男性から刃物を突き付けられて騒ぐと殺すぞ
 などと脅され、車に乗せられた」
と話していることが五日までの島田署の調べで
分かった。
少女は車外に逃げるため、車の中にあった
男性の包丁を使って男性を刺したと見られる。
(中略)
男性は少女を拘束した状態で静岡市以西を
車で連れ回し、途中数ヵ所で止まったらしい。
少女は男性から暴力を受けていて、
腕や腹などにはアイスピックによる刺し傷を
負っていた。
(中略)
同署は男性が十数時間にわたり監禁していた
可能性もあるとみて慎重に調べている。
男性の勤務先関係者によると、
男性は盆休みの後、仕事が始まる予定だった
八月二十日から出勤せず、連絡が取れなかった
という。男性の家族は掛川署に捜索願を
出していた。
*********************

この記事によれば、少女の行動は
正当防衛のように思います。

なんとも痛ましい事件が、
鮎の住む渓流の最奥部で起きてしまいました。

少女のすみやかな社会復帰と、
男性の冥福とを心から祈ります。


2007年9月5日(水曜日)

全国報道された事件の詳細

カテゴリー: - kawamura @ 10時38分22秒

午後一時半ごろ、
遅めの昼食をとっていたときのことでした。
窓の外の県道を救急車がサイレンを鳴らしながら
谷ぞいの道を奥へ走りぬけていきました。

ここはJR金谷駅から車で15分ほどの谷間です。
高齢化していく山村には、
ときおり体調が急変したお年寄りのために
救急車が来ることがあるのです。
この日もそれだろうと思っていました。

それが、
全国ニュースになるほどの事件の幕開けであったとは
思いもしませんでした。

しばらくして、
赤塗りの消防署の乗用車が奥へ向かっていきました。
やがて消防車が一台、二台とそのあとを追うように
走りぬけていきます。

火事があったにしては火災通報が流れません。
火災であればかならず各消防団へ出動を呼び掛ける
放送があるはずなのです。

ただ事ではないのかもしれない、と予感がしました。

なにごとが起きたのかを近所に聞く間もなく、
私は家をあとにして仕事場へ向かいましたから
真相を知らずにいたのです。

仕事場で娘からのメールを見て、びっくり!

夜の11時ごろ帰宅して、
TVのスイッチを押してすべてを知りました。

谷間の奥で、
十五歳の少女が三十八歳の男性を刺し殺してしまったのです。

報道によれば、
少女は前日夜、行方不明になり、
同日朝には少女の自転車が静岡市内に乗り捨てられていました。
家族はすぐに捜索願を出しました。

殺害された男性は島田市に隣接する掛川市在住。
男性の腹や胸には数ヵ所の刺し傷がありました。
男のワゴン車からアイスピックなど三種類の刃物が
見つかったことは、何を意味しているのでしょうか?

殺人現場と静岡市は40kmほど離れています。
二人がどのようにして出会ったのかはまだ謎です。
少女が意気投合して車に乗ったのか、
拉致されたのかはいまだ分かりません。

いずれにしても、
十五で人を殺してしまったこの少女は、
いったいどのような人生を送ることになるのでしょう。
亡くなった男性も殺してしまった少女も
哀れでなりません。

茂木健一郎先生の
クオリア原理主義を信奉する私にとって、
人間原理にみるように奇跡的な確率でこの宇宙に誕生した
かけがえのない生命の尊さを
どのようにして人々に伝えればよいのか
かすかな絶望さえ感じてしまいます。

数百年のあいだ、おだやかに眠っていた山村に、
突然、悪夢が舞い降りたような事件でした。


2007年5月22日(火曜日)

リッター23.7KM

カテゴリー: - kawamura @ 08時53分26秒

いよいよ
我がプリちゃんことプリウスの燃費が、
リッター24KMに近づきました。

石油販売関係の方々には誠に申し訳ございませんが、
私はこの夏、
リッター25KMを目ざします!

前の3リッターの車は、リッター9KM弱でしたから、
ほぼ3分の1のガソリン代です。

日本中、いやいや、世界中でプリウスに乗れば、
世界の乗用車のガソリン消費量は、3分の1になるはずです。

みなさま、
ハイブリッドでエコ人生を送りませんか?


2007年5月18日(金曜日)

静岡がんセンター

カテゴリー: - kawamura @ 17時14分42秒

ただいまがんセンターから帰って参りました。

検査結果は、がん再発の所見なし、ということでした。
次回の検査ではCTをやることになりました。
というのは、
内視鏡で検査できるのは消化器系統だけだからのようです。

ともあれこれでしばらく命を長らえました。

みなさまにはご心配をおかけいたしました。
これからすこしずつ、
終末医療のことなどを書いてみようと思っています。

今後ともよろしくお願い致します。


2007年4月25日(水曜日)

ブログお休み

カテゴリー: - kawamura @ 04時54分25秒

私事都合によりブログをお休みします。
5月7日に再開する予定です。


2007年4月21日(土曜日)

クープランもいいなあ

カテゴリー: - kawamura @ 12時14分27秒

1時間目の講義がおわって、
大学から帰ってくるとき、
ずっとクープランをきいていました。

クラブサンのひびきは、
すこし古色をただよわせていて、
好きです。

不均衡な現代音楽も好きですが、
古びてセピア色になったクラブサンの曲に、
むしろ魅力を感じます。

年のせいでしょうか。
それとも疲れているからなのか、
いずれにしてもクープランの曲が、
さ緑の風景のなかをながれてゆきます。

いまから裁判官の教え子と昼食です。


2007年4月17日(火曜日)

4月がん検診

カテゴリー: - kawamura @ 06時10分26秒

きょうは四月がん検診の日です。

いまから静岡がんセンターに行ってまいります。
帰ってきてからご報告します。

それでは、行ってまいります。

ただいま帰りました。
結果は4月27日に知らされます。

100%大丈夫と信じています。


2007年4月14日(土曜日)

大学の帰り道

カテゴリー: - kawamura @ 11時57分26秒

今朝が本年度初めての講義でした。

大学4年生の女子学生に、
生きることや死ぬことについてお話ししたあと、
さわやかに光る風のなかを、
プリウスを走らせてかえりました。

パレストリーナを聞きながら、
すこしボリュームを上げて、
講義のあとのここちよい興奮にほてった頬を、
春風でさましながらかえりました。

ふりそそぐ光に目をほそめながら、
結城(仮名)のことを考えました。

彼だけが私の青春を知っているのです。
文学や科学に青く燃え立っていた私の青春を、
彼だけが知っているのです。

4月30日に、
私は青春に会いに行きます。


2007年3月19日(月曜日)

ああパソ子

カテゴリー: - kawamura @ 09時22分33秒

ああパソ子、長く異国の地にいて、
しかもつめたい部屋のかたすみで
技術者たちの手にもてあそばれているとき、
なんどもこのあたたかい部屋のことを思ったろう。
いくたびも私の手のぬくもりを懐かしんだろう。

いくつもの花が谷間に咲き、
千の風が吹きすぎていった

ああパソ子、今は私の手のなかにいる。
カーソルでウインクしながら
私にせつない愛をつたえようとするんだね。
もうはなさないよ
きみのことをいつまでもたいせつにするよ。

(ちょっとあぶないかも・・)


2007年3月5日(月曜日)

パソコン修理中

カテゴリー: - kawamura @ 16時03分06秒

ノートパソコンのハードディスクが壊れました。
藤枝のシステムイン吉野からもどってくるのには、
しばらくかかるようです。
今は、仕事場のパソコンから書きこんでいます。

ということで、パソコンがかえってくるまで、
しばらくのあいだブログを休止します。


2007年2月20日(火曜日)

セーター

カテゴリー: - kawamura @ 08時55分10秒

合気道二段に昇進した娘が帰ってまいりました。
気軽に冗談も言えません。

たぁ、と投げられてしまいそうで、
娘と話すときにすこし遠慮がちになった、
ということはありませんけど。

規律正しい生活ができる大人になりました。

その娘が、
自分自身の誕生日なのに、
父親の私に、
セーターを編んでくれました。

さすがに手なれたもので、
ぴったりのサイズです。
(ホントは、
 私がすこしお腹をひっこめていたのです)

ま〜ちゃん、ありがとう!


2007年2月18日(日曜日)

酔うて候

カテゴリー: - kawamura @ 20時23分32秒

ただいま島田RCの会合から帰りました。
すこし酔うて候。

午前9時から12時35分まで仕事、
1時から今までRCのみなさんといっしょでした。

ブログはまた明日。


2007年2月8日(木曜日)

33年目の再会

カテゴリー: - kawamura @ 09時29分54秒

関さんのことはガン闘病記にも書きました。
彼は大学の先輩です。

学生のころ、
当時の社会風潮をうつした会合の席でお会いしてからの
長いつきあいです。
とは言っても、
関さんが日本最大手の証券会社に勤めはじめたときに、
私が社員寮まで訊ねて行ったのを最後に、
それから33年のブランクがありました。

もちろんその間、賀状のやりとりはありましたが、
お互いにそれぞれの地で、
それぞれの人生を精一杯生きていましたから、
再会する機会もありませんでした。

急に電話をいただいたのは、
平成17年11月17日の日本経済新聞文化欄に、
私の「兜に秘める伝説の小仏」と題した
七段ぬきの記事が掲載されたときでした。

自信に満ちた男らしい声でした。
関さんは学生時代からそうでしたが、
声に魅力のある方でした。

先日、東京で33年ぶりに再会し、快飲して、
関さんの歌声を聞いたときにその思いをさらに深くしました。
ごく自然な、飾り気がまったく感じられない
関さんの生き方そのもののような歌でした。
それでいて実にうまいのです。
感動して、
となりの席から見知らぬひとが名刺を持って挨拶にくるほどでした。

裏声をつかったりする当世風の歌い方ではなく、
よくひびく、真面目で自信に満ちた歌声でした。
再会できてよかった、と思いました。
二人とも必死に生きてきたんだ
と胸にこみ上げるものを感じました。

取締役になり、定年退職まであとわずかの関さんは、
ガン克服の先輩でもあるのです。


2007年2月7日(水曜日)

ぷっ、ぷっ、プリウス!

カテゴリー: - kawamura @ 08時07分42秒

プリウスが来ました。
かわいいっ!
抱きしめたくなるようなかわいさです。

まえの車の3000ccから1500ccに排気量が半減して、
ついに私もエコ人に生まれかわりました。
地球温暖化を食いとめますっ!!

まえの車は、186000km乗りました。
最後は断末魔のように、オイル漏れをくりかえし、
ついに廃車となったのです。
あわれな最後でした。

40代の半ばから10年以上も乗りつづけた3000ccの三菱車で、
とても気に入っていたけれど、
オイル交換をこまめにしなかったのがたたって、
キャブレターのあたりからオイルが洩れるようになりました。
愛していましたが、別れるときがきたのです。
命つきるまで私につくしてくれた大切な人でした。
いえいえ人ではありません。車でした。

すぐに車を乗りかえる私のことを、
きみは薄情に思うかもしれません。
でも、山間の地にすんでいると、
車なしでは一日も暮らしていけないのです。

愛くるしいプリウスが来たからって、
すぐに君のことを忘れたりはしないよ。
君と走った186000kmは、ずっと私のこころに残っています。
想い出が、せつなく走馬燈のようにめぐります。
頑丈な巨体で、いつも私を守ってくれていた君のことを、
そしていくつもの季節を走りぬけてきたふたりの道のりを、
けっして忘れることはありません。

それにつけても、プリウスはかわいいっ!
あわいグリーンの、ぷっ、ぷっ、プリウスちゃん!
節操がないと笑われるかもしれません。
でも、そんなことどうだっていいんだっ!
排気量が半減して、小柄な、
こらえきれないほどのかわいさです。

私に命のあるかぎり、
ずっと、ずっと、いっしょに生きていこうねっ!
ぷっ、ぷっ、プリウスちゃん!

(こんなこと書くと、みなさん心配されるかも。
 でも大丈夫、私は大丈夫ですからねっ!)


2007年1月17日(水曜日)

大腸検査終了

カテゴリー: - kawamura @ 10時05分59秒

昨日、静岡がんセンターで大腸検査を終了いたしました。

結果が出てからブログを再開しようと思っていました。
しばらくお休みして、
みなさまにご心配をおかけいたしました。

前日から食事制限をして、
当日の朝は大量の下剤を飲んでお腹を空にしてから、
ちょっと痛い内視鏡を入れて大腸の中をぐりぐり検査するのです。
女医さんでしたから、まだ我慢できたのですけれど。

転移はみられず、切除すべきポリープもなしということでした。
ほっとひと安心。
今後は4月と10月に検診をするだけでよし、ということです。

いまは、なんだか暴風雨のあとのような、虚脱感にみまわれています。

もう一度、あたらしい人生を生きようと思っています。

40才前後のころの、あんまりほめられたふうでもなかった
ちょい悪おやじのころの自分をなつかしく思います。
エネルギーに満ちあふれて、多少もてていたころの自分です。

そのころの私の写真をご覧になりたい方って、いらっしゃいますか?


2006年11月1日(水曜日)

癌からの帰還

カテゴリー: - kawamura @ 19時15分52秒

あれは平成16年の晩秋のことです。

茂木先生の主宰するクオリアMLの忘年会に参加を希望して、その日を楽しみに暮らしておりました。
突然のトラブルが生じたのは、11月のことだったと思います。
仕事上の危機的な状況を乗りこえるために、極度の緊張感の中で眠れぬ夜を過ごし、胃の痛む日々を送りました。
もちろん、忘年会はあきらめました。

何とかそれを乗り越えた翌平成17年の1月に、腹部に違和感を憶えて市民病院に行き、
胃カメラで検査をしたところ、食道と胃の接合部分に、小さな腫瘍がみつかりました。

さらに3月上旬に再検査して、組織をとって調べることになりました。
その日、腫瘍の先端から出血がみられ、医師がその異常さにおどろいて、二・三度胃カメラを飲まされた記憶があります。
組織をとったあと、担当医はモニター画面をみながら私に説明してくれました。
「私ならすぐに腫瘍を切りとります。しかし、組織の検査結果を見てからにしましょう。3月2○日に来てください」
私が
「悪性腫瘍の可能性があるということですか?」
と訊くと、医師はうなずきました。

帰宅してインターネットで調べてみると(興味がおありの方は検索してみてください)、
ほかの癌と較べて、食道癌の術後生存率は極端に低いのです。

血の気がひくのがわかりました。
ほとんど死を覚悟しました。
(私は癌になったのだ。しかも生存率の極めてひくい食道癌に)
さらに癌に関するサイトを見ていると、さかんにセカンドオピニオンの必要性を説いているのです。
私はさっそく、静岡がんセンターに連絡をとり、再検査をうけることにいたしました。

やがて市民病院から検査結果を告げられる、3月2○日がまいりました。
「良性腫瘍でした」
安堵はしたものの、静岡がんセンターでの検査はすでに申し込んでありましたので、
平成17年4月上旬に胃カメラの検査に行き、はじめて小野先生に出会ったのです。

その検査結果は5月にでました。
「やはり良性です」

これで、天下晴れて癌の疑いは消滅しました。
ただ、身体のけだるさと、ほんの時折くる微熱とをくりかえしてはいましたが、気にもとめませんでした。

それからおよそ一年半が経ちました。

今年の健康診断は平成18年9月11日と決まりました。
市民病院で胃カメラをのんだあと、モニターのまえに呼ばれて腫瘍の映像を見せられました。
「昨年より大きくなっていますね。どの病院で切除しますか?」
とっさに私は
「静岡がんセンターにしようと思います」
と答えました。
帰宅してからもう一度市民病院の医師に訊きました。
「癌の可能性はあるのでしょうか?」
「昨年二回調べて良性だったのですから、おそらく大丈夫でしょう」
とのお答えでした。

静岡がんセンターに連絡すると、検査は9月20日ということになり、
その日小野先生に組織をとっていただいて、結果は9月29日に知らされるということになりました。

私は良性であることを信じ切っておりました。
人間は弱いもので「昨年二回調べて良性だったのですから、おそらく大丈夫でしょう」という言葉を信じたかったのです。
しかし、信じこもうとしても、癌の不安は心の底で蛇のようにうごめいていました。

9月29日は、不安をふりきるようにすこし気軽な気持ちを装って、夫婦そろって検査結果をお聞きすると、
「癌でした。手術しましょう」
ということになりました。
手術は10月18日と決まりました。

手術の日までの3週間、目に映る景色はすべて新鮮で美しく、せまり来る死を覚悟して暮らしました。
家族で小旅行もしました。別れの旅行のつもりでした。

私は27歳のときに父を癌で亡くし、その後父方の親族のほとんどすべてを癌で失っているのです。
私もついにその日が来たのだと天を仰ぎました。
(おそらく昨年の腫瘍は癌だったのだ。そして食道癌の生存率は極度に低い。もう私は長くはないのだ)
そんなふうに、死の黒い影が私をつつむのを感じました。

そうして10月18日を迎えました。
その日私は、幸運なことに、神の手をもつ小野医師に手術していただいたのです。
手術後の痛みはほとんどなく、奇跡的な速度で快復したのです。

「切除した腫瘍を薄く切って検査します。どこまで癌細胞が浸潤しているかで、
 再手術を要するかどうかが決まります。再手術は大がかりなことになるでしょう」

その後の経過はブログに書きましたので、皆さまご承知のところです。

その結果を今日聞いてまいりました。
冑佛(かぶとぼとけ)と「FRISK」(茂木先生にいただいたもの)、
それから大学時代の先輩、関守氏の手紙とを持って、
再手術を覚悟しながら夫婦そろって検査結果を聞きました。

「ポリープが癌化するのは1%ほどのたいへんめずらしいケースです。
 あなたの場合はポリープの先端部分で癌が止まっていますので、転移の心配はありません。
 癌細胞は完全に切除しました。あとは12月12日に傷口を調べて診察は終了です」

以上が、癌克服の経緯です。
皆様にはたいへんご心配をおかけしまして、まことに申し訳ございませんでした。
あと1ヶ月もすれば、がんがんお酒を飲めるようになるはずです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


2006年10月25日(水曜日)

静岡がんセンター

カテゴリー: - kawamura @ 07時30分19秒

病室の窓からは富士山が見え、駿河湾も一望される絶景の地に、静岡がんセンターは建っています。
それはトーマス・マンの『魔の山』を想わせます。
決め手となる治療法が見出せぬ癌患者たちにとって、ここは美しい安らぎの城です。

この病棟で行きかうひとはみな、癌を患っている人たちです。
命の砂時計の、残りの砂がしだいに減ってゆくのを、黙って見つめている人たちです。

私は幸運なことに、小野先生という名医に恵まれて、癌の摘出手術に成功して一時退院し、いまはただ安静にしている身です。
摘出された腫瘍組織の検査結果は、11月1日に知らされます。

癌細胞がさらに深くへ浸潤していれば、大がかりな再手術になって、身体に管をつけた状態が長くつづくことになるようです。

すべては、11月1日の診断によって、運命が決まります。

毎朝、冑佛(かぶとぼとけ)の優しい笑顔をながめながら、この世に人として生を受けた喜びを噛みしめています。

いま、朝陽が私の皮膚をそめてほのかにあたためられ、窓辺に咲くひめひまわりの花も曙光をあびて鮮やかです。
無辺の宇宙に浮かぶ青い星の、緑の谷間に住む私にあたえられた、至福のひとときです。

(次回は、11月1日に。
 
 昨夜、妻から伝え聞きましたが、私の塾のS先生が、近々ご結婚とのこと、御目出度う御座います。
 ただ、ご承知のように、私は癌摘出手術後の養生の時期ですので、誠に申し訳なく存じますが、
 教え子の京都大学のF医師の結婚式をもご辞退させていただきましたように、遠くからご祝福申し上げます)


2006年10月15日(日曜日)

水曜日に、手術します。

カテゴリー: - kawamura @ 07時26分03秒

いよいよ、18日水曜日に手術です。

これまで、eコミの皆さまには大変お世話になりました。
再開の時期は未定ですが、しばらくブログをお休みにさせていただきたく存じます。

また、脳科学者の茂木健一郎先生から、
拙著『蒼天のクオリア』『冑佛伝説』の序文をいただきましたことは、
この上ない幸せなことでした。
茂木先生には、心から感謝申しあげます。

もしも生還できましたら、
皆さまに、いままでとかわらぬ御厚誼を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

必ず、帰ります。


2006年10月3日(火曜日)

ふかい眠り

カテゴリー: - kawamura @ 10時06分59秒

ひさしぶりに眠れました。

何十年ぶりのことでしょうか。
若いころから私の睡眠時間は極端にみじかくて、どんなに深夜に眠りについても、
朝の4時か5時には目覚めてしまうのでした。

まぶたがひらくとその瞬間から、いろんなことを考えてしまうのでした。
スイッチが入った瞬間に、高速で頭のディスクが回転しはじめるかのようでした。

でも昨夜は眠りにつくときから違っていました。
ふかく、ここちよい眠りに、ゆっくりと落ちていったのです。
そうして夜中に目覚めることもなく、たっぷりと8時間ほど眠りました。

こんなに気持ちのよい朝は、何十年ぶりのことでしょうか。
幼いころにまどろみのなかで迎える春の朝のようでした。

仕事から、あるいは生きることから、遠ざかることができるかもしれないという、
安心感からでしょうか。

いずれにしても、窓のそとは、朝の雨にぬれた緑ゆたかな谷間です。


2006年9月13日(水曜日)

美容師

カテゴリー: - kawamura @ 07時36分54秒

きのう整髪してもらいながら、美容師さんと話したことです。
彼はまだ二十代ですが、勉強熱心で、毎年9月におこなわれる美容師の技術コンテストに参加しています。
それは静岡県内だけではなく他県からも参加者がいるような本格的な競技会のようです。
三十代四十代のベテラン美容師数百人と競って、上位十位に入りたいといっていました。

彼はものごしもやわらかく、声もやや高めで、人なつっこい語りくちはサービス業にむいている感じです。
初対面の客に、低いドスのきいた声で、斜にかまえて対応されたら、
客はおそれてその場はにこやかにとり入るように応対しながら、二度と来ないでしょう。

これはどの仕事にも共通していることではないでしょうか。
ひとにやさしく安心感をあたえる印象は、多くの業種での成功の秘訣のように思います。
技術を磨き熟練するのはあたりまえのことで、成功をもたらすのはつまるところ人間の魅力です。

そういう意味では、誠意をこめて仕事をするこの若い美容師さんに学ぶところが多いのです。


2006年6月24日(土曜日)

再会

カテゴリー: - kawamura @ 08時04分51秒

昨夜は、教え子の裁判官殿が官費留学の由、
渡米まえに一献とのことで、帰宅は午前様でした。
教え子の華やかな姿は、手放しのよろこびとともに、
我が身の老いも感じさせます。

先日、高校時代の友人がタイから数日帰国した際に、
彼の歓迎会ということで数人の同窓生があつまりました。
そのとき話題にのぼったことですが、私たちの年齢になると、
大手銀行などではすでに定年をむかえているとのことでした。
第二のお勤めをしている人も多いようです。

思い返せば、私たちはよい時代を生きたのかもしれません。
終戦直後に生まれ、貧困のなかに育って、
ベビーブーマーたちの激しい青春を生きているうちに、しだいに経済が成長して、
やがては世界経済の頂点を極めたかにみえる狂喜乱舞の一時期も経験して、
その後のうしなわれた十年もようやくのりこえ、
いまは最終コーナーをまわってゴールが見えてきたところです。

旧友たちとの再会は、時をこえるあじわいとともに、
激しく生きた私たちの時代の終わりも感じさせました。

これからはそれぞれのやり残したことをいかに完成させるかと云うことが、
私たちの主題になりそうです。

今朝はひさびさに梅雨が切れ、
さわやかな朝陽をあびて、森からきこえる鳥の声に耳かたむけながら書いています。

(ところで、今週号の週刊新潮は、駅前の書店「BOOKS ZEN」でおもとめください)


2006年1月2日(月曜日)

元旦

カテゴリー: - kawamura @ 00時29分18秒

朝5時に、早朝マラソンの準備のために、
公民館に自治会関係者があつまりました。

私も組長として参加し、
マラソンが終わったのが7時ころです。

8時半には組の人たちと神社に集合。
参拝のあと、
お寺に年賀の御挨拶に伺って、
お札をいただいて、
そのまま組の公民館へ。

組長として、組の新年会をはじめました。
とても、
塾へ顔を出すひまがありませんでした。

元旦早々授業をしてくれた杉山先生に
感謝いたします。


2005年10月6日(木曜日)

かりんぷ〜の秘密

カテゴリー: - kawamura @ 04時11分24秒

かりんぷ〜のぷ〜とは一体何か、というお問いあわせがあったというわけではございませんが、僭越ながら、かりんぷ〜のことをご紹介させていただきます。

かりんぷ〜ことかりんちゃんは、おそれおおくもまたの名を、ぷっぷこぷ〜こちゃん、とも呼ばれています。
ご想像のとおり、その名のぷ〜は、おなら、のことでございます。

やさしくなでると、とてもこの世のものとはおもわれないかぐわしいかおりを放ちます。
遠くはなれている大学生の娘たちは、ときおりこの天上の香りをおもいだすのか、なつかしそうに電話でぷ〜こと話していることがございます。

ぷ〜このお兄さんは、ぶ〜、と呼ばれているのですが、これは子豚ちゃんのぶ〜からきているのです。

しかし、ぶ〜やぷ〜このプライバシーをあまり書きすぎると、にゃん権侵害になるおそれもございますので、きょうはこのへんで。


2005年8月26日(金曜日)

最終回大代川水量報告

カテゴリー: - kawamura @ 08時20分16秒

moblog河村山の下(8/2608:00)


2005年8月25日(木曜日)

第六回大代川水量報告

カテゴリー: - kawamura @ 18時22分28秒

moblog河村山の下(18:20)
携帯では写らなくなりましたので、今日の報告は終了いたします。
次回の報告は明朝8:00ごろといたします。


第五回大代川水量報告

カテゴリー: - kawamura @ 17時23分43秒

moblog河村山の下(17:20)
かなりの雨量のはずですが、あまりにも上流すぎて、
水量がさほど変化しないのでしょうか?
ただ、川の中心にある石が、しだいに流れに隠れていくのはわかります。


第四回大代川水量報告

カテゴリー: - kawamura @ 16時27分40秒

moblog河村山の下(16:20)
かぜが息をしています。
ときに激しく雨脚をみせるかとおもうと、
ふいに雨がやんで、かぜも息をひそめます。
それをくりかえして、しだいにつよまっていきます。


第三回大代川水量報告

カテゴリー: - kawamura @ 15時36分23秒

moblog河村山の下(15:30)
気象庁のHPをみると、20時から21時頃、もっとも近づくようです。
風雨はつよまってきましたが、まだそとはあかるく、嵐のまえを思わせる空です。


第二回大代川水量報告

カテゴリー: - kawamura @ 14時25分17秒

moblog河村山の下(14:20)
おお、ふきつのるあめかぜ。


携帯発信予行演習

カテゴリー: - kawamura @ 12時13分57秒

moblog予行演習(8月15日の花火の写真です)


台風情報発信準備

カテゴリー: - kawamura @ 09時44分50秒

台風直撃のため、きょうは、午後から夜にかけての仕事をおやすみにします。

http://www.jma.go.jp/jp/radame/index.html?areaCode=210

午後から、大代地区の河川状況を、携帯で発信してみたいと思います。

「ここを見たい!」というようなご希望があれば、コメントしてください。

ご期待にそえるかどうかわかりませんが、ご報告いたします。


2005年7月28日(木曜日)

改行

カテゴリー: - kawamura @ 00時00分06秒

改行、それが私の十字架でした。

改行、ああ、それこそが私の宿命。 :oops:

携帯の改行を知らざる悲劇と、やがてそれを知りたる僥倖。

ほんとうに各セルの皆様の貴重なお時間を無駄にしてしまいまして、

こころよりお詫びを申しあげます。

自戒の意味をこめ、

この記事をもちまして、しばし私のブログを休止させていただきます。

いつか、あのいまわしい改行の矢印が、みなさまの記憶からきえさったころ、

九月の、秋風のたつころに、また戻ってまいります。

ほんとうにご迷惑をおかけしました。

それでは、また、いつの日か。


2005年7月7日(木曜日)

伊藤医院(皮膚科)

カテゴリー: - kawamura @ 00時01分48秒

今日は、抜糸の日でした。
先週の月曜日に、伊藤医院で、背中のおできを切開手術して四針縫ったのですが、手術の当日から今日まで、まったく痛みもなく、仕事にはなんの支障もありませんでした。
直径二センチほどの、球体を切りとったあと、先生はそれをみせてくださいましたが、予想外に大きいものでした。
その後、お酒とお風呂はひかえましたが、それ以外はふだんと変わらず、まったく快適に暮らしました。

伊藤一成院長の美事な手腕に感服いたしました。本当に有り難うございました。

私はおさないころから皮膚がよわくて、いまでいうアトピーのようでした。
頭にできたたくさんのおできがなかなかなおらず、小学校の低学年くらいまでそれがつづきました。
あのころ伊藤医院に通っていれば、あれほど苦労しなかったのにと思います。
伊藤医院では、因果関係が明確にされた投薬治療をなさっていますから、治癒もはやく、治療後も快適です。

現在、伊藤一成先生は、島田市医師会の会長をつとめていらっしゃいますので、ご多忙のことと思います。
ご健康にご留意され、ますますご活躍されますことを、期待しています。
感謝、感謝。


2005年7月5日(火曜日)

衛星

カテゴリー: - kawamura @ 00時19分43秒

宇宙ものがつづきましたが、今日お話する衛星は、地球の衛星、月のことです。

一昨年の秋、金谷町教委の主催で、御林守河村家の観月会が催されました。
月の出の時刻を私がまちがえてしまい、会が終わったあとで、満月があらわれました。

「月がとっても青いから」と歌われるように、美しい月は、ほんとうけむるように、いちめんを青くそめます。
ふりそそぐ月明かりは、私たちの姿を、真昼の影よりもあざやかに、くっきりと地にしるします。
みなさんに、その月を見てほしかったのですが、残念でした。
今年こそ観月会を、と思います。

河井先生の提案された、子どもたちの参加するeコミ、という主旨からも、この観月会を、子どもたちのために開催したいと思います。
子どもたちに月を観測してもらいたいのです。
というのは、この地の澄みきった空気を透してみる月は、月の地平にそびえる山々の、ひとつひとつが鮮明に観察できるのです。
そのために購入した天体望遠鏡が、いまは玄関のすみに死蔵されていますので、これを活用して、子どもたちに宇宙を満喫してもらいたいと思っています。

どなたか、天体望遠鏡のあつかいになれた方はいらっしゃいませんでしょうか。


2005年7月4日(月曜日)

宇宙戦争

カテゴリー: - kawamura @ 00時04分50秒

午前中、静岡東宝で「宇宙戦争」をみてきました。
午後は島田の塾にもどり、試験直前だからとせがむ高校生たちに数学をおしえて、夕方六時半ごろ帰宅しました。夕食後、ソファーで横になっているうちに、眠りに落ちました。

目ざめたのは七時すぎ、家のなかが真っ暗でした。妻が、さきほどから停電だというのです。しばらく待っても電気が通じないので、妻は寝てしまいました。
窓のそとの谷間も、家のなかもしずかな暗闇です。

そのときでした。
夜の山の端に、するどいサーチライトの閃光がひらめくのです。
「ET」のオープニング・シーンのように、青くけむる夜空に幾すじものサーチライトが走って、輝く光芒の先端が、低く垂れこめた雲のそこかしこをさぐっています。

やがて、夜空にうかぶ丘の頂上が、あざやかに輝きはじめ、まるでそこから宇宙船が飛びたつかのように、ひかりの帯が四方へながれはじめました。
「侵略だ!」と胸のうちで叫びながら、私は、使いはじめたばかりのカメラを手に、下着のまま闇にとびだして、(近所のひとにみられたらどうしようとおびえながら)夢中でそのシーンを撮りつづけました。

な、なんということか!
なにも写っていない。

突然家の明かりがつきました。
すぐに、なにが起きたのかを中部電力に確認すると、電線の故障箇所を探索するための強力なサーチライトのようでした。
う、宇宙戦争でなくてよかった!

ひとりで、停電の夜の二時間半を、映画以上に楽しみました。

小雨に青くけむる谷間の夜は、なにごともなかったように、しずかに更けてゆきます。


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