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2005年6月13日(月曜日)

文殊堂

カテゴリー: - kawamura @ 15時03分39秒

文殊堂は、大代川のいちばん上流にある庄司地区から、掛川の倉真川へむかう山道の途中にあります。庄司文殊トンネルをぬけて、左手のほそい坂道をのぼってゆくと、急な曲がりかどのところに、道標がたっています。
庄司文殊トンネルr
文殊堂道標
文殊堂

現在はちいさなお堂ですが、四十年ほどまえには、そうとうひろい地域で信仰をあつめていたようです。いまでは訪ねるひともたえましたが、それでもときどき、文殊堂の話が、旧金谷町内のお年寄りの口から、なつかしそうにきかれることもあります。
この文殊堂を建てた記録は、御林守河村家につたわる古文書のなかに、天保六年の「文殊堂建立施主附帳」としてのこされています。

表紙にはつぎのように書かれています。
「   天保六年
 文殊堂建立施主附帳
    未 九月吉日  」
またこの文書のなかに、
「 願主
   御林守
    河村市平 印 」
とあって、文殊堂を、御林守河村市平が願主として建立したことがわかります。
また、寄付者のなかの主なものの住所、金額、名前などを列挙してみます。

まず筆頭に、金谷本町世話人・金弐分弐朱・河村八郎左衛門(本陣柏屋)の名があり、河村一族の文殊信仰がうかがえます。ほかに、竹下村世話人・金弐分・下嶋八左衛門、金谷医王寺から金弐拾疋など、六十八件もの名をつらねていて、寄付総額は、拾七両弐分三朱ト四拾弐文におよんでいます。
また村名をあげれば、嶋村、竹下村、志戸呂村上組、同下組、横岡新田、同本田、横岡村、倉真村、東山村下、金谷宿町、同坂町、田町、上本町、金谷河原町、横町、市ヶ島、本町、倉沢村、東山上村、島田向谷、萩間村、小鮒川村、丹間村、堂山、黒又村など、広範囲にわたっています。

なぜ河村家は文殊堂をたてたのか、金谷河村一族につたわるその明白な理由については、後日の日記にしるそうとおもいます。
このように河村家は、菩提寺の法昌院、法昌院境内にある河井八幡、それより歴史のふるい安養寺、文殊堂、と地域の信仰にふかくかかわってきました。さらに、明治四十三年まで河村山のむこうにあった大宝神社についてなど、宗教にかかわることをかこうとするときりがないので、すこしずつ、分けて書いていこうとおもいます。

梅雨入り宣言をきいたとたんに、谷間の朝は、ふりそそぐ初夏の陽ざしです。


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