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2005年10月7日(金曜日)

もうひとつの伝説

カテゴリー: - kawamura @ 04時09分30秒

河村の白狐」は、ふるくから言いつたえられてきた伝説で、河村家の周辺ではいまでも信じられています。
実際に白狐を見たというひとたちがいまでもいるのです。

もうひとつの河村家につたわる伝説は、「冑佛伝説」です。
この伝説は近々みなさまに詳細をご披露する予定ですが、わが家につたわる「冑佛伝説」が秘めていた深遠な謎を、ひとつひとつ解きあかしてゆくスリリングな日々は、とぼしい私の経験のなかでもひときわ鮮やかなものでした。
すべてはひとつの伝説からはじまったのです。

ここからさきは、すでに拙著「蒼天のクオリア」に発表した部分を抜粋します。
ちなみに、「蒼天のクオリア」の序文は、茂木健一郎先生が書いてくださいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そのとき、冑佛があらわれたのである。
 疲れはてた私のまえに、突然天上の彼方から透明な光の手がさしのべられ、ゆっくりとひらかれた光のてのひらのなかに、冑佛が微笑んでいたのだ。それは、家を守る、と時代錯誤の一念に身を投じた私を憐れんで、御先祖様がさずけてくれたご褒美のようだった。
 冑佛(かぶとぼとけ)。それは戦場で、御先祖様が兜の中に入れて戦った仏さま。
 静岡県金谷町の河村家に伝わるこの伝承が、すべての出来事の発端だった。冑佛と言い伝えられてきたちいさな仏像が、やがて目醒めて、戦国武将の秘められた内面を語りはじめるとは、まだ誰も知らなかった。ふだんの冑佛は、仏壇の御本尊の大きな厨子の中に脇仏として祀られ、高さ七センチほどの厨子の中に納められていた。像高僅か二センチ、ちいさな宝冠をいただき、智拳印を結んだ大日如来である。
 幸運なことに、冑佛はまったく未研究の分野だった。その当時、冑佛は誰にも注目されず、お互いの存在を知ることもなく、全国各地の神社仏閣の奥深くに眠っていたのである。まれに伝承がのこされていたにせよ、それは地方の一都市か、あるいはそれよりすこし広い地域で知られていたにすぎなかったし、たとえ知っていたとしても、それはひとにぎりの文化財関係者や博物館の学芸員にかぎられていた。県の教育委員会や県立博物館になるとほとんど知るものはなく、国立博物館や大学関係者では皆無だった。つまり、冑佛についての系統的な研究がなされていなかったのである。調査をはじめた私の身のまわりに、冑佛と河村家の歴史にまつわる不可思議な現象がたてつづけにおきた。やがて、全国各地に点在し、ひとしれず眠っていた十数体の冑佛が、歴史の闇の底から浮かびあがってきた。


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