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2005年11月19日(土曜日)

究極のセレンディピティ(「脳」整理法(6))

カテゴリー: - kawamura @ 08時14分15秒

あすは山芋会、みなさまとお話しできるのがたのしみです。

さて、私の究極のセレンディピティは、茂木健一郎先生との出会いであったということを、昨日お話しいたしました。
2000年12月のオフ会以来、なんどかおつき合いをさせていただくうちに、先生はとてもきさくな方だということがわかってまいりました。

やがて昨年の早春に、私がつたない自伝小説を書いたとき、メールでおそるおそる序文のお願いをしたところ、即座にこころよく引きうけてくださいました。
送られてきた序文の内容は、50歳をすぎた私を感涙のよろこびに満たしてくれました。

先生への御礼の返事に「士は己を知るもののために死す」とまで書きました。
大袈裟におもわれるかもしれません。
でも、私はそれまでの三十年間、ひと言も自分が小説を書くことなど他言したことはありませんでした。
それは私の青春の墓標として、すでに塚の底に埋められ、忘れはてたことさえ忘れてしまったはずの死産の子のようなものでした。

天命を知る50歳になって、ふたたび、自分の人生を神の御前に捧げたくなりました。
潔く、天に恥じることなく生きたこころの軌跡を、神に捧げるつもりで書いたのです。
河村家を守る、と時代錯誤の一念に身を投じた私の人生を、茂木先生はわかってくださいました。
かたくなに閉ざした心の扉をあけて、外からあたたかい光を投げかけてくださったのです。

谷間の村に埋もれるつもりの一介の凡夫である私に、過分のお言葉をいただきました。
そのお言葉だけで、私には充分でした。

しかし、さらに究極のセレンディピティはつづくのです。

それは一日おいて、来週の月曜日にお話しします。


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