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2005年11月30日(水曜日)

文化財(7)

カテゴリー: - kawamura @ 07時45分58秒

昨日は、江戸時代の身分制度がそれほど厳密なものではなく、士分のものが商家へ婿養子に入ったり、農工商のなかから士分に取りたてられるなど、身分間での流動性がみとめられたということをお話ししました。
士分の特権として苗字帯刀がありますが、士分以外でも特に有力なものには、各藩の大名から苗字帯刀の特権があたえられました。

江戸時代の人口構成は、およそ、武士が7%、農民が84%、町人などが残りの9%とされています。

天領であった金谷宿は現在の磐田市に置かれていた代官所に支配されていて、士分のものは定住しておりませんでした。
金谷宿には本陣柏屋の河村八郎左右衛門が名主として、大代村は御林守河村市平が苗字帯刀を許されていましたが、現在の島田市に相当する天領においても、それはほんのわずかのことで、この地域における苗字帯刀の家は7%よりはるかに少なかったものと思います。

ましてや大代村は東海道から大代川ぞいに10kmほど遡上しなければならず、士分のものが来村するのは、ふつうは年貢の取りたて以外には考えられませんが、大代村には幕府直轄山林がありましたので、幕府の役人がときおり訪れることもありました。

そのような意味において、大名からではなく、江戸幕府から苗字帯刀を許された「御林守河村家」が、島田金谷の宿場や大代村のひとびとから、どのように見えたかは、あまり説明を要しないものと思います。

つづきはまた明日。


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