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2005年12月1日(木曜日)

文化財(8)

カテゴリー: - kawamura @ 08時30分21秒

江戸幕府から御林守に任命された河村家は、苗字帯刀と給米をあたえられて、武士の定住していない天領(現島田市)においては特別な地位についていた、ということを昨日お話ししました。

島田市指定文化財「御林守河村家住宅」は、河村家がそのような公的地位についていたころの建造物ですから、近隣のひとびとも、御役所として建物をながめていたのでしょう。
そのような意味で、河村家を見るひとびとの視線は、社会制度のなかで安定したものだったとおもいます。
つまり、その家に住むにふさわしい役職についていて、御林守としての責務を果たしていたのですから、高い石垣にかこまれ、石畳をそなえ、太い梁にささえられた頑丈な建造物に住んでいても、それを見るひとびとの眼に、違和感はなかったものと思います。

江戸時代の河村家は、初期の庄屋のころも、御林守に任命されてからも、公的な役職をつとめその責任を果たしていたのですから、寛政五年に建てられた家も、まわりのひとびとにとって得心のいく姿だったのでしょう。

そこが、明治期以降と違うところなのです。

御林守の役所として建てた建造物に、明治期以降は強い権力を伴う役職からはなれ、役所としてつかうこともないままに住み続けたところに矛盾があるのです。
それでもまだ、明治初年から昭和二十年までは、江戸期の苗字帯刀というほどではないにせよ、河村家当主はさまざまな公的役職に就いていましたから、河村家当主とその建造物を見る近隣のひとびとの眼に、それほどの違和感はなかったのかもしれません。

つづきはまた明日。


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