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2005年12月5日(月曜日)

文化財(10)

カテゴリー: - kawamura @ 09時00分01秒

明治から大正末年まで、河村家の戸主がいくつかの公職についたとはいえ、江戸時代に、幕府の貴重な資源である御林を管理する御林守として、苗字帯刀を許され給米をあたえられていた、というような家格を代々継承していたわけではありません。
明治維新以降の河村家は、現在でいえば市会議員、村長などをつとめ、とくに曾祖父河村宗平は県知事直属の製茶監督員を十五年ほど奉職いたしましたが、これらは江戸時代の名主や御林守のように世襲制ではなく、社会制度として河村家の地位を保証するものではありませんでした。

つまり、江戸時代に幕府直轄山林の管理者である御林守の役所としてつかわれていた河村家住宅は、明治維新以降、すこしふつりあいになりました。

しかし祖先以来の所有地は河村家のものとして残されましたので、経済的な変化はあまりなかったのだろうと思います。
公的地位は失ったけれどもその所有地は残された、という変化が、河村家をとりまくひとびとの心にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

地主制の地主というのは、その規模もさまざまですが、単なる大土地所有者のことで、江戸時代の名主とはまったく違います。
おなじように広い土地を所有していたものの、名主は世襲の村長、つまり政治的責任を負っていたのに対して、地主にはそれがありませんでした。
地主とは、大土地所有者として、経済的な富裕層を意味していたにすぎません。

江戸時代には、名主や御林守としてまわりのひとびとを政治的におさめていた家が、地主となってからは単に搾取するだけの家になったかのように見えたかもしれません。

終戦直後、ソ連の煽動で「地主は死んでしまえ!」というビラが飛びかったと父は嘆いておりました。
搾取被搾取、というマルクス主義的なとらえ方は歴史の一面にすぎず、実際の地主たちは、河村家の戸主たちのように、さまざまな公職についたり、寺や神社の総代をつとめるなどの、いまでいうボランティアをしていたという一面もあるのです。

明日はそのあたりについてお話しします。


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