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2005年12月7日(水曜日)

文化財(12)

カテゴリー: - kawamura @ 05時37分51秒

私は懐古趣味でもなく、封建制度を肯定する者でもありません。
北朝鮮や中国などをみれば、独裁国家よりも自由で平等な日本のほうが好ましいことは明らかです。

士農工商とは中国の古典に典拠をもつ言葉で、職業分類をあらわし、かならずしも身分の上下を意味してはいません。
兵農分離のあと、士と農工商が区別されましたが、中江藤樹の『翁問答』にみられるように農工商の間に序列はありませんでした。
つまり、江戸時代には士農工商を序列とする厳格な身分制度があった、とするのは間違いで、武士と平民がいて、平民のなかに農民と町人が並列的にいた、とするのが現在の一般的な説のようです。

先日もお話ししたように、士分の者が農工商に婿入りしたり、農工商のなかから士分に取りたてられることもありましたので、士農工商は厳密な身分制度ではなかったように思います。
とくに江戸末期においてはそれが著しかったようです。

士分の者は人口のおよそ7%ほどで、苗字帯刀が許され、給米をあたえられていました。
農工商がのこりのほとんどで、とくに農民は国民のおよそ84%を占めていましたから、もしも武士が圧政的に平民を支配していたとするならば、江戸末期の混乱に乗じて民衆の革命がおきていたでしょう。

御林守河村家の石垣を築き、建造物を建てたのは、おそらく村内のひとびとでしょうけれども、苛酷な賦役を課されたというような話しはつたえられてはおりません。
おそらく、相当の対価をそれぞれに払い、無理のない相互関係のなかで築きあげられたものと思います。
御林守河村家は苗字帯刀が許され、給米も与えられていましたが、村内のひとびととのあいだには友好的な関係がたもたれていたものと思います。
明治初期の戸長選挙の結果などが、それを物語っているのでしょう。

つづきはまた明日。


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