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2005年12月10日(土曜日)

文化財(15)

カテゴリー: - kawamura @ 01時18分40秒

この文化財シリーズを読みかえしてみて、情けなくなりました。
自慢話ならまだしも、祖先が城主や御林守や地主であったことを、くだくだと言い訳しているような、恥ずかしい内容でした。

このような家に生まれると、原罪を感じるのです。

わが家が、国の重文ほどの家でないことは承知しておりますが、どのような指定文化財にせよ、歴史を背負って生きる文化財所有者は、誇りよりも、むしろふかい原罪意識をかかえているように思います。
家のなかで語られるはるかな歴史やはなやかな祖先の業績とはうらはらに、それを支えてくれたまわりのひとびとの苦しみを思うのです。
そのように教育されたのです。
文化財所有者の歴史は搾取のそれであって、あたかも我らが歴史の加害者であったかのように、学校で教えられたのです。

その原罪意識は、敗戦後の、日教組による偏向教育がわれらの心底にふかく植えつけたものだろうと思います。
西欧の、産業革命によって生まれたブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争史観を、そのまま無批判に日本にあてはめ、敗戦にうちひしがれてあがらうことすらできぬ我らに説いた彼らこそ、糾弾したく思います。

たしかにそのような一面はあるにせよ、それは一面にすぎず、また、地域によっておおきく状況が違っていたのですから、こと静岡県においては肯定的にとらえる視座もあったはずです。
一年の半分が雪におおわれる東北の寒村と、常春の静岡とを同列にとらえるのには無理があるでしょう。
しかし嵐のような共産主義思想化教育は、過激な革命思想をふかく我らの意識にすり込んだのです。
洗脳された少年たちは、やがて学生運動家となって角材をふるいました。
しかしそれは遠い異国の革命思想であって、おだやかな我が国の歴史とは無縁のものでした。

附属中学のとき、後輩に没落地主の子が何人かいました。
みんな暗い眼をして、少年なのに、希望の感じられない顔でした。
ぼくがなにをしたというのか。
十字架の重みにうめく彼らの声が聞こえるようでした。

つづきはまた明日。


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