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2005年12月11日(日曜日)

文化財(16)

カテゴリー: - kawamura @ 07時27分02秒

昭和二十年代の農地改革のあと、地主階級は日本から姿を消しました。
旧地主にかぎって、自作しない農地は強制的に国に買いあげられて解放されましたから、わずかにのこされた農地を自耕する以外に旧地主層が生きのびる方法はありませんでした。

a当時の記録として、祖父河村小次郎が旧地主の代表として農地委員会で活躍し表彰されたときの褒状がのこされています。

文化財所有者の多くは、農地改革終了の時点で、かぎられた農地を耕作する小さな自作農になったのです。
文化財建造物は、無用の長物となりました。
それを維持する経済的基盤をうしなった彼らには、さらにそれを建て替える資力すらありませんでした。
つまりその家を文化財建造物として誇りをもって保存したのではなく、それに住み続けるよりほかなかったのです。

彼らは経済力を奪われましたから、同時に発言力も失いました。
滅んだ彼らのおおくは、四散しました。
伝来の土地を捨て、都市にその活路を見いだすものもいました。
彼らは歴史の敗者として、この苛烈な改革を語ろうとはしませんでした。

父は旧清水市内で生まれると同時に河村家の婿養子になることがきまっていました。
東京の大学に進学して徴兵され、やがて上海の第十三軍司令部参謀部に勤務したのち、昭和二十一年に復員して河村家に入籍いたしました。
その時点ではまだ地主でしたが、まもなく農地解放が断行され、ほとんどの土地をうしなった河村家の婿養子として、父は自作農になりました。
父のもとには、創設された自衛隊からの勧誘や、十三軍の参謀たちが起業した会社への誘いもありましたが、悲運に背を向けることを潔しとせず、一言の愚痴もなく、この谷間の家を守るために生涯を捧げたのです。
享年六十四歳でした

つづきはまた明日。


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