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2006年12月3日(日曜日)

茂木健一郎先生序文『冑佛伝説』読者感想(2)

カテゴリー: - kawamura @ 11時18分29秒


このメールが送られてきたのは、かなり前のことになります。
ご本人の承諾を得て、私のHPにUPさせていただいたものを、こちらに転載いたします。
『冑佛伝説』の最初の読者感想でした。

*************************

はじめまして、****と申します。
東京在住の30代の学校事務員をしている者で、趣味で歴史上の人物を追っています。
ホームページの「冑佛伝説」を読ませていただきまして、メールを差し上げようと思いました。
本当に、もう、ドキドキしながら読みました。見ず知らずの人間からいきなり妙に濃い(?)メールを受け取ってしまって驚かれるかもしれませんが、これもご縁と思ってどうぞご容赦ください(^^;)

私は毛利元就と厳島で戦って敗れた陶晴賢とその一族、陶氏がとにかく大大大好きで、この1年間に3回、延べ20日以上も山口県へ行って参りました。
山口市のランドマークは瑠璃光寺の五重塔といいまして、周防の守護大名・大内氏の寺として知られています。
でももともと五重塔が属していた大内氏のお寺は香積寺といいまして、瑠璃光寺は別の所にあり、そのときは陶氏のお寺でした。
そちらの瑠璃光寺の由来がとても面白く、感激屋の私はずっと忘れられなかったんです。

瑠璃光寺の開基は陶弘房という武将の奥さんで、足利義満のころの人です。
陶弘房が主君に従って和泉の国で討ち死にしたとき、首は取られてしまったけれど、兜の中にしのばせておいた小さな薬師如来の念持仏を家来が国元へ持ち帰りました。
奥さんは夫の菩提を弔うために瑠璃光寺を作り、本尊をその薬師如来の念持仏(冑佛)にしたとのことでした。
その後いろいろあり、大きな薬師如来を寄進してくれる人も現れたので、参拝者に拝んでもらうにあたっての大きさのバランスから今はそちらがメインの仏さんだそうですが、私にはその小さな兜の中の仏様のことがとても印象的で記憶 に残りました。

私は歴史上の人物で好きな人ができるとその人の追体験をしてみたいと思うのですが、彼をより理解するには、彼が信じた宗教や信仰について知らないとろくに理解できないだろうな、と思っています。
私の好きな中世はまだ神仏への信仰が日常に不可欠な要素でしたから、絶対にそうだと思っているんです。
なので、その冑佛の話を聞いた瞬間、弘房の無念や来世への祈り、奥さんや家来たちの慟哭、亡くなった人の後生の安からんことを願う残された人々の優しい気持ちなどが手に取るように想像でき(たつもりになっちゃうんです、本当に)、涙が出るくらいとても彼らが身近に思えるようになりました。
それからずっと、彼らはみんな兜の中に思い思いの仏像をしのばせて合戦に赴いたのだろうと想像してきました。
小さな仏像はその大きさのわりに、彼らに想いを寄せる際の大きなよすがとなりました。

お寺の方とお話したときは、冑佛についてはとてもさらりと「兜の中に小さな仏さんを入れておくのは珍しくなかったそうですよ」とおっしゃったので、私は「そういうものだったのか、知らなかった。
ひとつ利口になった、よかった、嬉しい」としか思いませんでした。
でも今日調べものをしていたら偶然、本当に偶然に「冑佛伝説」が検索にひっかかりまして、「まだ新しいジャンルなんだ!」とあらためて感動いたしました。

あれはまるでミステリーを読んでいくような感じでした。
ひとつひとつ河村さまが関門を突破するたびに、自分のことのように嬉しく思ってしまいました。
亡きお母様宛のマンモスの博物館の部分では、「そうなのよ!そういう導きって、あるのよ、確かに・・・!」と、涙ぐんでしまいました。

「私は恋に落ちた」のくだりは大好きです。
私も生きている人間相手ではなくそういう体験をしたことが(惚れっぽいので、よく)あります。
その感覚は「恋に落ちる」としか表せません。
まだ冒頭部分のあの言葉で、「ああ!この人は私と同じ魂を持っている・・・!」と(誠に失礼ながら勝手に)同族意識を持ってしまいました。

相手が生きている人間でないと一生の片思いを約束されているようなものですが、でも逆に誰にも恋路を邪魔されずに想い続けることができるのが嬉しく、またその気持ちを抱いている自分までがいじらしく思えたりして、むしろ恋に落ちたその瞬間から、この想いは成就しているようなものなのだと思わずにはいられなくなります。
(・・・なんだか興奮してしまってすみません。)
だからそのときのお気持ち、「ああ、あの感覚だ」と、自分のことのように追体験させていただくことができました。

それと、冑佛には直接関係ないことですが、私は河村様をとてもうらやましいと思ってしまいました。

「一代も途切れることなく、伝承を言いつたえてきた代々の人たちへの、あふれる感謝の気持ちが、数世紀を遡って、やがて御先祖さまにまで達するように思われた。」のくだりです。
ここはあまりにも私が望んでいることに近く、冑佛の件でもラストステップにあたりましたので、いちばん胸に迫りました。

私も自分のご先祖が何をしてきた人かにとても興味があります。
私は三島の出身で、母はもとは榛原町の人間です。
だから金谷は遠い所という感じはしません。

母の実家は飯田という名字で、もとは長野県の飯田に住んでいたという言い伝えがあり、応仁の乱だか武田の滅亡の頃だかわかりませんが、榛原の方へ一族で逃げてきたという話があるんです。
地名を名乗れるくらいの一族だったのなら小さくてもそれなりの国人領主か豪族???と私は期待してしまい、またそうであったなら歴史も調べやすいはず・・・という期待もあったのですが、嫁に出た母はそういうのに興味がなく、本家を継いでいる祖父もそういう話はしてくれません。
古い菩提寺は何度かの火災で過去帳その他を焼失しているようですし、庄屋をやっていた間にお家騒動のようなものもあり、古文書は別の本家(未だに2つの本家があるということは、お家騒動がおさまっていないということかも・・・)にあるという話ですし、うかつに古いものがあるかどうか訊くと、「古いもの=財産=お金」と思われ、財産狙いと周囲から見られるため、祖父にも近づけなくなってしまいました。
少なくとも400年以上同じ所に住み続けている家系なのに、こんな状態です。
ずーっと昔のご先祖さま、ごめんなさい・・・です。

先祖からの伝承というのは、ほんの1代でもそういうものに興味を持てない世代がいると、そこで途絶えてしまって後から掘り起こすことができません。
だから「一代も途切れることなく」というのは本当に素晴らしいことだと思います。
古い家の財産は、物や土地もそうですが、そういうご先祖さまからの伝承その他の継承も同じくらい大切だと思いますので、それを残してくれた代々のご先祖さまに本当に感謝しきれないくらいですよね。
そして河村さまも、それを次代に伝える人になれたというのがまた一段と素晴らしいです。
私が河村さまの子供だったら、とても誇らしく思うと思います。
大きな喜びを与えられたことに大感謝!です。
(私は、自分のすぐ上の2つの世代で、ご先祖につながるものが消えてゆくのか・・・と残念でなりません。ご先祖に申し訳ないです。良いご縁に恵まれた河村さまのことを自分のことのように嬉しいと思えるのも本心ですが、少し妬ましいと思える気持ちも正直あったりして・・・)

なんだか支離滅裂になってきてしまいましたのでこのあたりで失礼いたします。
これからHP上の他のものも読ませていただきますね。
本当に長々と好き放題書いてしまいまして、失礼いたしました。
ちょっと興奮気味で書いてしまいましたので、もしお気を悪くさせることがありましたらお許し下さいませ・・・


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