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2005年7月15日(金曜日)

その歴史的意味

カテゴリー: - kawamura @ 08時14分13秒

昨日の日記に、説明をつけたそうと思います。

これは、matumotoさま、yfujitaさまの、
「なぜ「河村家住宅」は市指定文化財に指定されたのですか?」
という両氏のご質問にこたえる文章でした。

さて、有形文化財としての建造物の指定ではありますが、そこにはふたつの側面があります。
ひとつは、建造物自体の価値、もうひとつはその建造物のもつ歴史的価値です。

建造物自体の価値につきましては、昨日、『町の文化財』(平成6年4月1日発行・発行者 金谷町教育委員会)の紹介文を転載いたしましたが、きょうは、この建物のもつ歴史的意味について、ご説明したいと思います。


『金谷町所在文書目録 第3集』(平成3年3月31日発行・発行者 金谷町役場)の全200頁のうち、その約4分の3、つまり12頁から154頁までの143頁にわたって、「河村隆夫家文書」として計3,468点にのぼる河村家の古文書の目録がおさめられています。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

その近世編460番に「本家普請大工木挽人足諸入用目録」があります。
これは、寛政五年(一七九三)に「河村家住宅」を建てたときの記録です。
大代村の名主であった市平が、寛政元年(一七八九)に御林守の役職に任ぜられ、その四年後に、御林守の役所をも兼ねた住宅を建てました。
それが現在の、島田市指定文化財「河村家住宅」です。

御林守とはなにか、につきましては、後日ご説明いたします。

私も、古文書すべてに目を通したわけではありません。
重要なものはおよそ把握しているつもりですが、この住宅のもつ、深い歴史的意味を解きあかすのには、これから長い時間をかけなければなりません。
のこされた人生の宿題と思っています。

梅雨空がつづいています。目のくらむような青空を、はやく仰ぎたいものです。


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