メインメニュー
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録

2005年7月26日(火曜日)

名主市平病死(1743年)

カテゴリー: - kawamura @ 00時01分52秒

『金谷町所在文書目録』第三集・「河村家文書」近世D―92

乍恐以書付を奉願上候御事
一、大代村名主市平儀去十月病死仕倅八十吉・幼年ニ而御役儀難相勤奉存候ニ付、後見相立市平・倅ニ名主役被仰付候様ニ村中百姓共奉願上候、大代村・之儀ハ前々より市平平馬両人ニ而御役儀相勤来リ候・在所ニ御座候得ハ古来之通り両人相立申度奉願候・市平儀も草切以来之名主ニ御座候、村受八十吉十六才・ニ罷成り候得ハと少シ間後見仕候ハゝ末々名主役も相・勤り可申与乍恐奉存候、依之市平弟孫太夫義・弐十ヶ年以前ニ懸河御領宮脇村へ養子参住所・仕候得共、市平分地をも所持仕、其上当村出生之者ニ・御座候得バ気立も存知罷有候ゆへ右孫太夫後見・ニ而八十吉ニ役儀被仰付被下置候様ニ惣百姓とも奉願上候御事・右御願申上候趣平馬方へ数度訴申候得共存知寄御座候得ハ奥印不罷成候由申候ニ付乍恐拙者とも名印・計リニ而御願申上候御慈悲ニ被為聞召訳願之通リ被為仰付被下置候ハゝ末々之者迄難有奉存候以上r
        寛保三年亥三月
以下百六名印r
大草太郎左衛門様 御役所

寛保二年(1742年)十月、大代村の名主(河村)市平が病死しました。
長男八十吉(やそきち)はいまだおさなく、名主のお役はつとめられないでしょうから、後見人をたてますので、八十吉に名主の役を仰せつけられますよう、お代官、大草太郎左衛門さまにお願い申し上げます。
大代村は、(河村)市平と(杉山)平馬の両人で名主役をつとめてまいりましたので、古来の通り、ふたりの名主を立ててくださいますようお願いいたします。
河村家は草切り以来の名主ですから、十六才までは村中で応援し、後見いたします。そうすれば、八十吉も名主役もつとめられるようになるでしょう。

市平の弟孫太夫(まごだゆう)は、二十年以上まえに掛川の宮脇村へ養子にいきました。
孫太夫は大代地内に分地も所有していますし、そのうえ当村生まれのものですから、気だてもよく承知しておりますので、なにとぞ孫太夫を後見人として、八十吉に名主役を仰せつけられますよう、大代村の総百姓そろってお願い申し上げます。

これを、もうひとりの名主、平馬に申しましたが、何度お願いしても印を押してくれません。
ですから、私たち総百姓にて印を押し、お願い申し上げますので、お慈悲をもってこの願いをお聞き届けられ、八十吉に名主役仰せつけてくだされば、私たち百姓は、いつまでも感謝することでしょう。
        寛保三年(1743年)三月
                      以下総百姓 百六名印
大草太郎左衛門様 御役所

河村家には、いまもこの文書と八十吉愛用の品がのこっています。

河村家が、当主病死の不幸にみまわれたとき、草分け以来の名主役を河村家につがせるように、大代村のみなさんがこぞってはたらきかけ、印を押してくださったのです。
このときおおくの方のご協力がえられなかったなら、いまの河村家はありません。

いま、文化財「御林守河村家」の保存問題が危機に立たされているとき、三百六十二年前のこの古文書のもつ深い意味が、私のこころをゆさぶります。


コメント

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://www.e-com-shimada.jp/cell15/modules/wordpress/wp-trackback.php/92

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメントの投稿

改行や段落は自動です
URLとメールアドレスは自動的にリンクされますので、<a>タグは不要です。
以下のHTMLタグが使用可能です。
<a href="" title="" rel=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <br> <code> <em> <i> <strike> <strong>


ご注意 : セッティングにより、コメント投稿から実際に閲覧できるようになるまで暫く時間が掛かる場合があります。 再投稿の必要はありませんので、表示されるまでお待ち下さい。

13 queries. 0.029 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress